2012年8月18日土曜日

ヴィクトール・フランクル 夜と霧

かつて神谷美恵子の「生きがいについて」と同時に読んだフランクルの「夜と霧」をEテレの「100分de名著」が取り上げている。

震災、原発事故から一年以上経過し、時節柄この本に救われる想いの人は多いでしょう。

が、しかしやはり私に問いかける人生というものの正体を私は観る事ができない。
私が為す事を待っている人生が私に何かを問うなら、応える準備もできようが、問われている感じがしない以上、何を応えればいいのか?
問われていると仮定したところで、やはり応えようがないではないか。

ただ、私が故人を悲しませなかったと考えることにより、一時的に救われる想いがするが、それとて今更何になろう。

フランクルに直接会って聴いてみたかったです。


LINEとやらをインストールしてみた。
既存のアドレス帳から既にLINEをインストールしている人を自動的に見つけて友達リストができる。
わざわざ電話やメールする用事も無いが、気になる久しぶりの友人にコンタクトしてみる。
LINEインストールしたもので、、、ということで会話のきっかけになる。
SKYPEとどう使い分けるか悩ましいが、いずれ使い易いほうに収斂するのではないか。


D Durはいい感じになってきたので、E Durを本日は集中的にトレーニング。
ゆっくりやってできないものを速くできるわけがない。
が、あれ?そんなはずはない、前できたのに、と同じテンポでミスを繰り返すとそのミスのパターンが固定化されてしまう。
なので確実にできるテンポまで落として復習う必要あり。
転ぶところ(主に高音部)を集中的に、そしてリズムを変えて。


この春から右小指の第二間接が痛む。
力が入ると痛いので、力を抜くいい機会に恵まれたと考えよう。
フランクルさん、おいら前向きっしょ?

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