2013年10月29日火曜日

ミラノ・スカラ座のリゴレット 

我が歌の師匠がライブで観たミラノ・スカラ座のリゴレットがテレビで放映されました。

2006年録画のDVDに較べると、舞台の装飾がひどく豪華です。

マントヴァ公爵がイタリア流のダブルブックで代役になっていますが、リゴレットと娘のジルダが役に完全になりきっている感じは変わりません。

思うにマントヴァの魅力とは一体何なんでしょう?

卑劣な恥知らずかと言うと、一時とはいえジルダへの恋心はホンモノのように見えます。

ジルダは騙されていたのでしょうか?

マントヴァはその時々の真実を語っていたのかもしれません。

ジルダが気の毒なだけではありません。父親の愛への裏切りはどう考えたらいいのでしょう。

なんだかソープドラマ批評している奥様方みたいですけど。

役になり切って情感を思い切り表現する。

吹き始める前に、テンションを上げて想いの丈を音にぶつける。
そんな感じで吹くと結構疲れる。

どうかすると、嗚咽して吹けない。

それでもそういう感じを忘れてはいけないような気がする。

明日は歌のレッスンです。

レッスンに通ってもなかなかうまくならないのですが、それでも音楽というものの何たるかが、わかってきたような気がする。

その勢いで人生の意味にもヒントが欲しい。


映画「コンタクト」観る。
ソートイ教授の「素数の音楽」の冒頭で「コンタクト」で宇宙人が人類に対して素数を信号として送ってくることが、すなわちインテリジェントな生命体が地球上にいるかどうか知るための手段として使われたとのことから観てみる事にしました

地球上にインテリジェンスがあるかどうかは、多くの人が血液型を話題にしたり、テレビドラマばかり観ていたり、写真を撮影する時に必ず指でVサインをしてピースすることや、「水からの伝言」をまことしやかに力説する人が多いことから明らかだと思うのだが、、、。

人々は人生の意味に飢えている。

「ツリー・オブ・ライフ」を観た時に感じた、アメリカ人のキリスト教に対する猜疑心がテーマのように感じられた。
それにしても映画での日本の位置づけはU.S.の下請けなのですが、田舎のアメリカ人は本気でそう思っているに違いない。

存在しない神を人間が作った。よりどころを求めて。
孤独を癒してくれるのはお互いの存在。
我々はより大きなものの一部で、孤独ではない。

人生の無意味と孤独が怖いんだね、みんな。

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