2013年8月27日火曜日

宮前丈明さんの演奏会に行ってきました。

素晴らしかった!

紀尾井町サロンホールという小さめのホールの臨場感が家族的でまたいい。

歌の先生にお願いしてリハーサルから参加できたことがまたいい。Doubleいいねで二度美味しい!

トークと演奏、聴衆からの質問にも気さくに応えてくれます。

2001年に医者を辞めてフルーティストになったことになんの迷いも無い様子。

質問があればどうぞ、と言うので、

「人生のゴールは何ですか?」と場合によってはやや失礼な質問をしてみました。

死を迎えた時、振り返った人生に悔いがないこと。」(ちとニュアンスは違ったかもしれませんが、そんなような応えでした。)

次の質問者が何故か、「治らない病をかかえたらどうすればいいのでしょうか?」と聴きました。

すごい質問です。私だったら応えに窮すること間違えありません。

すると間髪を入れずに、「一病息災です。」「常に健康でいると、自分も周囲も心配しないので、いきなり逝ってしまいます。何か一つくらい病気があったほうが生きている実感があっていいのです。」(よく記憶していませんが、そんなような回答でした。)

少し前までお医者さんだったからでしょう。病や死と向き合う患者に慣れている感じがします。

一緒に行ったアンサンブル仲間も質問しました。
「人前で演奏すると過渡に緊張してしまって、楽しみのはずが苦しみになって困っています。」
すると次のような回答でした。
「誰でも緊張します。緊張しない演奏ほどつまらない演奏はありません。問題は緊張とどう向き合うかです。演奏前に何か口にすると緊張が和らぐとか、そういう各自のジンクスが見つかるといいです。緊張して間違っても、そのことに囚われる必要はありません。音楽は時間軸の中で演奏する芸術です。たとえ部分的に間違っても、全体で表現できればいいのです。コルトーのピアノなんかミスだらけですが、素晴らしい演奏をします。それから聴衆にココを聴かせたいという意志が明確にあるといいです。それがないと、ミスを怖れる萎縮した演奏になってしまいます。」(うろ覚えですがだいたいそんなことを言っていました。)

そのよい事例を示したのかどうかわかりませんが、終盤の曲の演奏ではバリトンの方がちととちっていました。でも、ピアノの方に(わりぃ!)ってな合図をして笑顔でやり過ごしたのは観ていて実に気持ちいいものでした。
ミスした時、深刻な表情でいたら却ってネガティブに目立ちますので、ほがらかにやり過ごす技ですかね。
後悔先に立たず。つまり後悔は後に立っている。後は時折振り返るだけで、先を観ましょうということですね。
とちったバリトンの方の後ろに後悔が立っていましたが、前には決して立っていませんでした。

フルートの演奏についてはなんと言ったらいいのでしょう。
アンサンブルの息がぴったり寄り添っていて、かなり技巧的な曲も軽々しく吹くし、やはりモイーズから神童と言われただけのことはあるなあって感じです。
バッハのBWV1035は思い切り音楽的に表現していました。
すごいダイナミクスです。ディミュニエンドで音程が下がらないことはプロなら当たりまえですが、もうほとんど消え入るような音までディミュニエンドすることにびっくり。

素晴らしい演奏を聴くだけでなく、聴衆との対話あり、困っている人への的確なアドバイスありの大変よい時間を共有できて今日は本当によかったです。

で、明日からしばらくU.S.です。フルートは吹けませんが、カリフォルニアをドライブしながら歌ってきます。

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