2014年8月23日土曜日

感情を抑えて演奏してしまった

隣町の合唱団との合コンにフルートの演奏を二曲用意したのだが、暑気払いの流れで演奏はベルディの「ああそは彼の人か」のみとなった。

この曲を自宅で練習していると、misteriosoのところで感極まってしまって吹けなくなるのだ。

本番は暗譜で情感を込めて吹くつもりだったのだが、演奏中に嗚咽してしまってはまずい。

そこで、目をつむってオペラのシーンを思い浮かべないようにして吹いてみた。

ちと感情を抑え過ぎて、つまらない演奏になっていたかもしれないが、特段のミスはなく演奏することができた。

ソプラノの歌手になったつもりで、ヴィオレッタの悲しみを歌い上げたかったが、その志は叶わなかった。

やはり情動の末しょう神経起源説には疑問を感じるのはこういう時だ。

一方でスマイルセラピーの効用も否定できないとは思うのだが、、、。



今日は特別な日。

12年前の今日、人生で最も大きなストレスに遭遇した記念日。
そして、すぐに人生で二番目のストレスに遭遇。

口角を上げたり、楽しいことを想像したりするものの、悲哀の仕事は未完のままだ。

そうだ、美味しいものでも食べに行こうっと!

6 件のコメント:

  1. このあたりが音楽表現の面白いところかな.....

    よく、「気持ちを込めて吹きました」というフルート吹きの方の文章を見かけますが、言っていることはわかりますけど、「気持ちを込めて吹けば、気持ちが音に宿る」とは全く思えません。

    オペラで激しい感情で嗚咽しているように聞こえるフレーズは、嗚咽していたら歌えません。聞いている人が嗚咽しているように聞こえるように歌わないといかんのです。

    感情を抑える必要はありませんが、感情のままに吹いては感情が演奏に表現されることは難しくなりますね。感情的に吹いている、という風には聞こえるかもしれませんけど......。

    わき上がる感情と、それを音楽的な表現に置き換える作業をする作業との両方を監視している、もう一人の自分を常に演奏の脇においておく必要があると思います。

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    1. 込めた気持ちを、素直に表現する技術が必要なのですね。

      感情の赴くままでは普通の人が歌うと、悲惨なことになるのはカラオケなどでよく見る光景です。

      自分の演奏を冷静に聴くもう一人の自分を常に意識する必要があるということですね。

      どういう演奏が音楽的に優れているのかをよく知ることも大事ですね。
      まずは自分が聴いて「いいな」と思うような演奏。
      そして、それは何故そう思うのか。
      また、先人がこれまで研究してきた「いいな」の要素をレッスンを通して勉強しているように思います。

      問題は、勉強してもなかなか身に付かないことですが、、、。

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    2. そのとおりだと思います。私が常日頃考えていることをまとめていただいたような感じ!^^
      まず、自分が聞いて「いいな」という「具体的なイメージ」がなかったら、何も始まりません。そして、それは「なぜなのか?」を知ろうとすることはとても大切。

      身につく量は少しずつですが、それはある一定量になると、それぞれが絡み合ってどう表現すべきか?を導いてくれるようになると思います。

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    3. いいなと思うこと、好きだと思うことの理由を言葉で説明することって実はかなり困難だったりしますね。
      それでも、そこを分析することの楽しみが心を豊にするような気がします。

      早く一定量にならないかなあ。
      生涯ムリかも知れませんが、表現ということについて考えることがこのごろ面白くなってきたことは大きな収穫です。

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    4. 言葉は後からついてくればいいんですよ...... ^^

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    5. そうですね。何故なのかを考えるとなると、言葉で考えざるをえないと思うのです。
      言葉がなくとも好きな気持ちをそのまま直感で再現できたら素晴らしいです。

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