2014年9月11日木曜日

演奏はコーナリングのごとく

今日は拙宅での出張レッスンでした。

初見はいよいよGariboldi Thirty Easy and Progressive Studies最後の曲。
Study No. 30

なんだE durのスケールとアルペジオじゃん。
ゆっくりやればできるさ。

と思ったら、四分休符をしっかり休まずに次を吹いたり、E durなのにDisをDで吹いていたり散々でした。

△。

どうも吹いていて短調のような感じがしたんだよね。

そこですぐにそのおかしさに気がつかなければだめなのだそうですが、ここらへんはへっぽこにはしょうがないよね。

曲がりなりにも毎回のレッスンでの初見テストは面白かった。

毎回、譜読みの段階で「できる!」と思っても、なぜかトチル。
実力より少し上のレベルだから、失敗しても次はなんとかしてやろうという意欲が出る。
実力をはるかに上回る曲だったらきっといやになっていただろうな。
そのおかげで初見はいくらかマシになったと思う。やったね。

エチュードはAndersen Op.41 #6
これはかなり長い期間かけて練習したのだ。
エチュードだけどとても美しい曲だと思う。
が、自分で吹いていて感じるのだが、(この曲に限らず)私の吹き方は流れないのだ。
ドッスンドッスン、その時々に留まっている感じ。

車を運転する際に、すぐ目先を見るのではなく、十分に先を見て運転する意識を持つべし。

そして大切な音に向かって上昇したら、その大切な音をしっかり吹けばいいのだ。
コードのルートを見つけて、それ以外の経過音は、どうでもいいとは言わないまでも、一音一音吹き込んでしっかり鳴らしたら、うるさくてしかたないのだ。

大切な音以外は引いて吹く。

うーん、わかりますよー。その感覚は。

問題はできるかどうかだけど。


コードを構成するロジックもだいたいわかってきた。
身体で感じることができるかと言うとかなり疑問が残るけど、しょうがないよね。

あっと言う間に時間が過ぎてしまい、メリーさんの羊もセレナーデもできなかった。

楽しいことはあっと言う間なのだな。。

6 件のコメント:

  1. 問題は出来るかどうか......うむ、真理だ。^^

    でも、やろうという気持ちがなくて出来るわけがないのも真理。
    出来るだけのことをするしかないんですが、必ず結果はそれなりについて来ますってば。

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    1. 「演奏の原理」を言葉で書き表したものがありますし、レッスンでは毎回同じ様な指摘を受けます。
      言葉で言われてすぐにそのとおりにできないのがお稽古ごとなのでしょうね。
      理解が深まって身に付くことは、上っ面に理解することとは違うんだなあ、とこのごろ感じます。

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    2. 音楽は言語と同じです。ある程度のデータ量が蓄積してくれば、理屈によらなくても、話せるようになると思います。

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    3. 歳とってから外国語を勉強するようなもんですね。

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    4. 頭で考えたり(知っていること)言われたことをすぐに出来ないのは、スキルが伴わない場合もあれば、考え方や理解が勘違いしている場合もありますね。

      「君はモイーズのSPレコードを沢山持っていて、蓄音機でいい音で聞いていて・・・・いったい何を聞いているんだぁ~?」

      と、高橋利夫氏がレッスンの時にしばしば私に投げかけた言葉です。それこそ、浴びるように聞いていたはずなのに・・・・
      模範とすべき演奏の聞き所がわかっていないんですね。
      何を模範とすべきかもわかっていない。

      最初はそんなものですよ。
      歳をとってから外国語をマスターする人もいらっしゃいますしね。

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    5. 聴き所がわかることも喜びでしょうね。
      そんなこと気にしなくても、時間はすぐに流れて音は消えてしまうわけで、消える前にそこに気がつきたい私だ。。。

      音楽で日常会話できないけど、具体的な意味を持たない言葉とし捉える習慣をつけると聴き所が聴こえてくるかなあ、、、?

      うーん、課題はてんこ盛りだあ。

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