2014年12月31日水曜日

過度な緊張と「演ずる」

歌とフルートの本番演奏が続いた12月はしんどかった。

何がって、へっぽこアマチュアが舞台で演奏することにとても緊張してしまうからなのだ。


本番前のストレスマネジメントの成功が今回の大きなゴールなのだ。


落ちたらどうしよう、間違えたらカッコ悪い、下手すぎて笑われないだろうか、、、などと要らなくない心配をするのも当然だ。


伴奏合わせやゲネプロや本番の前はぐっすり眠れなかった。

こんな思いをしてまで人前で演奏することの意味はなんなんだろうか?
人生の意味と同じでよくわからない。

思うに、この過度な緊張は自意識過剰から来るのではなかろうか。

人は自分が思っているほど、自分のことに関心を持っていないにもかかわらず、人目が気になって仕方ない性質なのかも。

ブ男のナルシスト?
案外やな奴だな、俺って。

諸先輩のアドバイスで、イメージトレーニングしてみた。


舞台は私のモノ。

聴衆の心を鷲掴みにするつもりで自信を持って臨む。
聴衆に負けないテンションで臨む。

へっぽこにとって、これらの自己暗示は自分を騙しているにすぎないわけですが、それでも案外ステージに立つと足がすくむ程の緊張はなく、思い切って演じることができたことは大きな収穫でした。


自分を騙すことなく、これらの心境になれるまで仕上がっていることが望ましいことは言うまでもありませんが、へっぽこにはそも限界があるってもんですよね。




演出家の「演ずる」ことに対する言葉が印象的でした。

「舞台」「聴衆」「演者」がいて、一回性の中で、全ての情熱を出し切る。
「演ずる」ためには100%その気になって高いテンションを保ち、その世界に入り切ること。
少しでも、一人でも気を抜いたら舞台は壊れてしまう。
舞台という世界で生き抜くこと。
とてもエネルギーが必要なのだが、もうここで死んでもいいと思うくらいの気持ちで演じてみたつもり。

力一杯「演じる」ことが目的なので、そこには失敗したらどうしよう、という不安はない。


それでは何故「演じる」のかはやはり人生の意味と同じでよくわからないのだ。


「演ずる」ことに夢中になれた証拠に、私にとって大きな収穫がひとつあった。

Or per le mute stanze Sempre la cerco e chiamo

Or per le mute stanze
と歌うべきところを

Sempre la cerco e chiamo
と歌ってしまったのだ。
普段のレッスンだと、「あ、すいません!」と言って止まってしまうのですが、心の中で「アッ」と叫べど、止まることなく、悠々とSempre la cerco e chiamoを二回歌い通した。

レッスンでできなかったことが、本番でできた。

本番に強い俺ってやっぱりナルシストかな。

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