2012年2月7日火曜日

歌の翼のイメージ

音楽の一回性
音楽は他の芸術と違って、二度と同じ演奏をすることができません。
絵画や建築はやり直しがききますが、音楽の演奏会で「あ、すいません。とちったので始めからやります」ってのはなしです。


三島由紀夫「金閣寺」に確か、
「ふと背を返すと、金閣はあのエウリディーチェのように、たちまちそこから姿を掻き消されるかのように思えるのであった」
だったかな、、、。記憶が朧。
しかし振り返ると金閣はそこに厳然と有るわけで、これはおかしいではないか、美を極めたものはその美しさが輝きを放ったら消失すべきだという美意識はまさに建築に音楽の一回性を求めているようなもの。だから金閣を燃やしてしまうのですが。


ゼウスとの約束を忘れエウリディーチェを振り返ったがためにエウリディーチェを失ってしまったオルフェウスの悲しみはいかほどでしょう。考えただけで涙が止まりません。


歌の翼のイメージ
歌の翼のイメージは、こんな暗い神話じゃなくて、翼の生えたオルフェウスとエウリディーチェが一緒に仲良く空を舞いながら囁き合っている感じに決定。


ところが自分の演奏を録音してみると、、、、
たまに空中を飛んでいる夢を見ます。そう、高さは電線よりいくらか高いくらい。自由にすーーーっと移動できるんです。ところが、少しずつ下降していくので焦るのですが、焦れば焦る程少しずつ地面が近くなります。
まさにそういう夢のような演奏です。
翼を持ったオルフェウスとエウリディーチェは羽ばたくのですが飛べません。









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