いじめられた友人をいじめたのは誰?
この場合の「られた」は可能を示す助動詞の過去?
友人はいじめられた上に、土下座までさせられるのではたまったものではありません。
いつの間にか世間では何かと「大丈夫です」を連発することになっていたことに違和感を感じる今日この頃でしたが、このたびの違和感はホンモノです。
言葉は時代とともに変化するものとして受け入れるべきですが、なんでもかんでも「大丈夫です」とか「やばい」など簡単に済まそうとするって、あまりに考えていないことを人前に露呈することに抵抗がないって感じぃ?
この際、「いじめられた友人」はら抜き言葉にして、「いじめれた友人」と言ってみてはどうでしょう。
と、ここまで書いてふと、ググって見ると「いじめられた友人に土下座させたい」と報道しているのは一社だけですね。
ああ、びっくりした。
新聞記者は違和感を感じる事ないのでしょうねえ。自分の意志でそう書いているのですから。
するってーと、あたしの感覚がおかしい???
それにしても、無関係のバスの運転手を刺すだけの根性があるのだったら、友人を刺すのがスジってもんでしょう。
鬱屈した感情が友人に仕返しをするのではなく、バスジャックを想起させたのは、それほどまでにいじめる友人の圧迫感が強かったってことでしょうか?
今日は練習はそこそこにして、クライスの発表会に出かける。
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