2014年2月18日火曜日

理科のココロ

来月、ご近所の梅林で梅見会という集まりがあって、ご近所さんが100人ほど集まって梅の花の下でお酒を飲んだり、食事をします。
アコーディオンやキーボードを演奏する有志がいて、みんなで唱歌や少し古い流行歌を歌うのですが、そこで唄に合わせてフルートを吹くように頼まれています。

楽譜をお願いしていたのですが、届いたのは歌詞カード。

、、、、。

ネットで楽譜を探していたら、唱歌はだいたい揃うのですが、少し古い流行歌は著作権もあってか見つけることができません。

ところが、

Google検索に曲のタイトルを入れて、画像検索すると、

ありますねえ。

解像度はイマイチだったりしますが、シンプルな曲は十分使えるレベル。

歌詞カードにあった曲は全て入手できた。

けど、当日演奏する調性はどうするんだろう。

できれば事前に合わせをしたいところですが、なるがままってとこですかね。

当日、急に三度上げて吹くようなことは音を間違えるコツですよね。



理科のココロ。
子供の頃の学校の先生ってどうしてあんなに高圧的でオレサマの態度でいばっていられたんだろう。

だからと言って、モンスターペアレントを推奨するつもりは微塵もありませんけど。

先生って奴はどいつもこいつも、狭い強制収容所に集めた子供を相手に威張り散らすナチス親衛隊みたいな印象。

中学の音楽の先生はほんとうにひどかった。感情の赴くまま怒鳴り散らすのですが、それでも教師でいられたのは、そういう時代だったからだろうか。
通信簿はだいたい4か5しかないものだと思っていたのですが、音楽で初めて1を見つけた時はびっくりした。
0を発見したのはインド人だそうだが、通信簿に1を発見したのはまぎれも無いこのおいらだ。

ですが、小学校の理科の下村先生だけは違っていました。

全く威張り散らすことがありません。

いつもクールに白衣を纏い、時折ニヒルな笑みを浮かべながら、子供達待望の理科の実験をする姿は現代のデンジロウ先生の先駆けといった感じです。

授業は面白かったけど、担任は持っていなかったように記憶している。非常勤だったのかな?

当然、理科が大好きになって、小学生のうちから中学3年までの参考書を読破していたもの。

それに引き換え音楽は、、、。
聴音ができなくて、ものすごく怒られた(今考えるとできないのは当たり前だと思うのですが、何か生意気な生徒に対するイジメを受けていたのかも)ことがトラウマで、楽器店で440の音叉を買って、暇さえあればポーンと叩いて耳に入れてAを覚える努力はしたのだ。
でも、その努力の成果は全くもって出ないまま今日に至っていますが、、、。

6年間の授業が全て終り、いよいよ最後の理科の授業で、

「理科のココロとはあらゆる常識を疑ってみること、あたりまえだと言われていることも何故そうなのか、常に何故?を忘れずに自分で考えること。みなさん、この理科のココロを忘れないで下さい。」

子供心にジーンときて、以来、あらゆることを疑い、何故と考えるようになってしまいカワリンボになったことを今でも感謝している。

今でもよく思い出すココロに残っている言葉です。

下村先生、今頃どうしているだろうか、、、。

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