2012年7月4日水曜日

風景の記憶

どなたかが撮影した風景の写真を見て、自分がそこを過去に訪れた場所であることを直感的に判別できることがあります。


特徴的なモニュメントがあるわけではないにもかかわらず。


どこにでもあるような森の小径の風景を即座に「軽井沢」と判別できたり、韓国の町並みをソウルではなく、「チュンチョン」だと判別できることが不思議です。


モチロン過去に行った事がない場所を判別することはできません。


つまり風景を観る時、混沌の中に何かしらの形式を見いだし、過去の記憶の形式と照会する能力を備えているのだと思います。


予てから真理の認識は言語ではなく直感的でしかありえないのではないかと考えていましたが、体験による記憶を超越した直感というものはありえるのでしょうか?


あるのだとしたら、人間以外の生物はかえって言葉がないだけに認識を得やすいのではないでしょうか。




音の記憶はさらに曖昧です。
街でふと耳にしたフルートの音色を「あ、パユだ」などとはとても判別できませんね。


さて、痛む舌はだいぶよくなりました。
ビタミン剤投与の効果なのかどうかは不明です。
一時はなにかとてもやばい病気ではないかと心配になりましたが、どうやら取り越し苦労だったようです。


なので、ソノリテのアタックと音の連結から課題1。
「モイーズとの対話」の解説によれば、スピッティングというタンギングが当時のフランスでは当たり前なのだそうです。
お腹を使って短い時間で最高の響きが出るようにがんばってみました。
音が割れやすい中音Fを基点にして、最高のC最低のCまで順繰りに響かせます。
高音はFisから上、低音はDから下が出しづらい。


練習の成果かどうかわかりませんが、今日はとてもいい音が響きます。
さて、明日はどうなんでしょうか?






映画「カラマーゾフの兄弟」観る。
亀山郁夫の翻訳が評判がよいと聴き、再読してみましたが、文字を追ってもよくわからないままでした。
映画っていいですね。実にわかりやすい。
ドストエフスキーの神による魂の救済への疑問がちりばめられているように見えました。
引き続き、謎解きカラマーゾフの兄弟を読んでみたいです。
奥が深そうですが、不思議なキリスト教を読んだので理解がススム君になることを期待して。

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