2014年3月31日月曜日

初見練習の成果か?

クチビルにできた小さなちいさなデキモノは、ほぼ治った。

とても小さなおできなのに、音への影響は絶大。

すぐに治ったからいいようなものの、こんなんが続いたらかなわんなあ。



昨日はアンサンブル。

新しい楽譜が配布され、初見で合奏。

みんな、当たり前のように演奏してるけど、こちとらは必死。

小節をまたぐタイは数え方を間違えるポイント。

そういう時はタイを外して吹けばいいんだけど、それでも時折迷子になる。

なんとかなりそうな感触を得たので嬉しかった。

でもまあ、レッスンで毎回、初見の練習をしていることの成果と思う。

人は努力して成果が出ると嬉しい。
やがて死んでしまうことは避けがたいにもかかわらず、何故かその時は嬉しいのだ。
不毛な思考より、その場の喜びでごまかしながらいきている。



そして今日は歌のレッスン。

予定していたTime to say good byeの楽譜の用意ができていなかったので、6月に本番で歌うナブッコの特訓。

頭蓋骨を響かせて歌う方法はだいぶわかってきたと思うものの、どうしても油断すると響きを忘れた歌い方になる。

そうやって元に戻ることを繰り返しながら成長していくのさ。

2014年3月28日金曜日

楽器という道具

しばらく前にヤフオクで50年に亘るフルートのコレクションを断捨離したいと、大量のオールドフレンチ(とジャーマニーも)を出品している人がいました。

ハンミッヒ系は一本数百万円。ルイ・ロットはもっと安くて40万円から80万円くらいだっただろうか。

数えたわけではないが、数十本が出品されていた。

これほどたくさんのオールドモデルが一カ所にあるわけだから、コンタクトして自宅におじゃまして、お気に入りの一本が見つかればラッキーというものかも知れない。

ただ、私のようなへっぽこに、いい楽器は要らないです。

吉本さんが演奏するYFL221を聴くと、ますますその確信は確かなものになる。

でも、人に聴かせるのでなくても、吹いていて自分が気持ちのいい楽器ってのもありそうだ。

部屋に引きこもって、お気に入りの楽器を吹いて楽しむってこともいいかもね。



今日は鳴りが悪い。

ソノリテもスケールもダメ。

なんかクチビルが変だ。

下唇に小さなデキモノがあった。

小さなちいさなデキモノなのだが、発音には大きな影響がある。

無理にいい音を出そうとすると、いくらかマシになるが、どうも吹いていて楽しくない。

こういう時はさっさと切り上げてピアノと歌だね。

いろいろやっててよかった♪



恵比寿のミケーレでナポリの味を楽しむ。







2014年3月27日木曜日

春はあけぼの

陽気のせいだろうか。
久しぶりに、このところ早朝覚醒が続いている。
目が醒めたら起きればいいだけのことではあるが、昼間眠くなるので困る。
暗くなると眠くなり、明るくなると目が覚める、それが自然だと思うのだが、どうも何か不自然なことが自分の中にあるようだ。



たいていの男の子はメカが好きと相場は決まっている。

時計、カメラ、自動車、飛行機、フルート、、、ん?
フルートのパーツの形の女性的な曲線の美しさ、メカの確かな動きにワクワクするのは男の子だからだろうか。

早朝覚醒すると時折、過去の記憶が鮮明に蘇ってくる。

小学生の頃の遠足。

決まって男子は一眼レフカメラの品評会と化す。

たいていはお父さんか兄貴のカメラを借りてくる。

貸す方もしぶっただろうが、借りるほうもごねたんだろうなあ。

で、出発前からカメラ自慢をしながらファインダーをのぞいてピントを合わせたりしているのだが、誰もシャッターを押さない。

一枚くらい撮ってくれてもよさそうなものだが、フィルムがもったいないんだね。

私「へー、すごいね。ちょっと手にもってみていい?」

不安そうなクラスメイト「ん?い、いいよ。」

ずっしり重いカメラのファインダーから見える世界は、なにか一種独特なブリューゲルの様。

レンズを空に向けると、、、

クラスメイト「あああ、ダメダメ、レンズを空に向けちゃあ!」

私「え?だめなの?」

「ダメなんだ、強い光を当てちゃあ。全くぅ、これだから知らない奴には持たせられないんだよ! あーあ〜、カメラ大丈夫だったかなあ、、、」

私「あ、ごめん、・

遠足は郊外の山を登ったのですが、件のクラスメイトは何かに躓いて激しく転倒。

大事なカメラは無惨な姿に。

そして彼の表情は顔面蒼白で、すっかり元気がない。

そりゃそうだ。帰ったらこっぴどく叱られるだろう、そして弁償することもできない。
もう二度と遠足でカメラを借りることはできなくなるだろう。

かわいそうだなと思うものの、何か「滑稽」を感じた。顔に出さないように必死でしたが。

先日レッスンに行く際に、いつものように3wayのバッグにフルートを入れて玄関を出た。
財布を忘れていないだろうかと、一旦背中にしょったバッグを体の前にたぐり寄せると、なんとバッグのチャックが全開になっていたことに気がついた。

気がつかないで出かけたら、どこかでバッグからフルートが転げ落ちて、コロコロと転がり、トラックに轢かれて呆然と立ちすくむことになったかも。

大切なものを失った人を「滑稽」だなどと思ってはいけないかな。

ですが、メカは所詮道具なので、また買えばいいだけのこと。

買い替える事ができないものを失うからこうなってしまうのだ。。。

2014年3月26日水曜日

合理的な練習方法 

神田のぞみさんのサイトに合理的な練習方法について解説されています。

困難なエチュードに取り組む際に、やみくもに何度も吹くことは合理的ではありません。

C. J. Andersen: Eighteen Studies for the Flute, Op. 41#1は十六分音符のアレグロを滑らかに吹く事が要求され、そのための方法として10通りのパターンで練習することを教師から指導され、滑らかさには問題を残すものの、よい成果を得る事ができました。
Andersen: Eighteen Studies for the Flute, Op. 41#1
#3は三連符が続くアレグロです。
Andersen: Eighteen Studies for the Flute, Op. 41#3
さて、これはどう料理したらスムースにできるようになるだろうか。
そこで思い出したのが、吉田雅夫さんから聴いた、フルステナウ「音の花束 #9」の練習方法。
4通りのリズムで毎日やってみよう。
この方法は教師から指導されたものではなく、私が勝手に応用しています。

あ、ダメですよ。この曲にこのリズムパターンで練習しちゃ!

なんてこと、ないよね?

2014年3月25日火曜日

ピアノレッスン 二回目

自宅練習の末、できるようになったつもりのベートーベン「歓喜の歌」(初心者向け超簡略バージョン)。

レッスンではボロボロで、止まったり音を間違えること夥しかった。

次回までには暗譜で演奏できるようにすることが課題となったが、自宅ではほぼ暗譜でできるのだから、二週間後のレッスンまでにはなんとかなるだろうという自信がある。

何事も自信があるって気分がいいよね。

自信に満ち溢れている人って観ていて気持ちいいではないか。(私の場合、満ち溢れているわけではないが、、、)


バーナムという人のエチュードはサクサク進んだ。

が、

左右がドミソの和音を奏でて、次に4オクターブ離れたドを左右5の小指で弾くところがインテンポでできない。
4オクターブも離れていると、叩くべき鍵盤を同時に観る事ができないからね。

すると、教師からは片方だけを観て、もう片方は勘で叩くのですと、、、、。

ええええ、「勘」ってそんな無茶な。こんなに離れている小さな鍵盤を正確にインテンポで叩くだなんて絶対に無理。

私にはピアノは無理。こんなに早く挫折するとは。。。。

と思った瞬間でした。

えいやっぱで、左だけ観て、右を勘で叩いてみるとドの隣のシを叩いてしまった。

少し、右にすればいいんだな。

そして、リトライ。

できた! できた。できた。出来ました! なんと、何度やってもできる。(調子に乗って何度もやってたらたまにレを叩いたことはこの際忘れましょう)

両手なんて広げれば180cmくらい広がるのに、こんな小さな鍵盤の中央を正確に勘にたよって叩くことができるってなんかすごいよね。
4歳でピアノ始めました、ってわけじゃないからねえ。

スコラの坂本龍一さんは、「ストラビンスキーのここのところですね・」などと言いながら、暗譜でサラサラッと複雑なフレーズを両手で弾いていました。

とてもシロートな感想だけど、自分でピアノを弾いてみて、この難しさを体験すると坂本さんは超人に見えるわけです。

あのくらい楽器が演奏できたら、きっと神が降りたシャーマンみたいに演奏できるんだろうなあ。

考えてみたらコンピュータで文字を入力するときは、いちいちキーボードを観ていないわけです。そんなことしてたら人の会話を記録することができません。

めっちゃ、小さな進歩ですが、練習することで今までできなかったことができるようになった喜びっていいです。

それから較べたらフルートなんて、短い管に固定されたキーがいくつかあって、それを単純に閉じるか開けるかするだけなんだから、もっとスラスラと速いフレーズができてもいいはずだよね。

モダンフルートなんて簡単な楽器なんだ、トラベルソやオカリーナや尺八といったシンプルな楽器やピアノに較べたら指に悩む必要なんてあるわけない。

と、自己暗示にかけて今日は練習してみようっと。

2014年3月24日月曜日

経験を積む 合わせ、初見

昨日はアンサンブル仲間が3名、月に一度の定期練習とは別に自主的練習として集まった。

比較的簡単な曲から、やや難しそうな曲を初見で挑戦。

もちろん随所でつっかえたりするが、始めの頃に較べるとずいぶんと合わせることの感覚が掴めるようになって嬉しい。
そして、ややわかりにくい曲も、ゆっくり数えれば吹く事ができた。

初見の練習の成果を発見!!


初見や合わせることはこうした経験を積むことが必要なのだろう。

もっと早くから何か楽器をやっておけばよかったんだけど、、、。



そして、夕方から近所の教会で室内楽を聴いて、帰宅してワイン飲んでリゴレット観ていたらいつの間にか寝てしまった。

2014年3月21日金曜日

一仕事を終えて

合唱の本番演奏を終えて一段落し、ほっとしている。

が、6月上旬には次の本番が控えていて、これまでのレパートリーに加え、新たに5曲を暗譜しなくてはいけないので、あまりまったりしているわけにもいかず。


昨日は練習時間を大幅に削っていたフルートのレッスンに臨んだが、アンデルセンの十六分音符が並ぶアレグロは三つのアーティキュレーションと七つのリズムをほぼ毎日浚った成果が演奏に現れているからということで、滑らかさに問題を残すものの、無事◯になった。

やったね!

ただし、もうできるようになったと思っていた初見テストは見事にボロボロ。
簡単な楽譜なのに吹いていて数え方を間違える、そしてその間違えに気づかない。へっぽこだなあ。。。凹む。。。
私の場合は特に十六分音符が四つ並んでいたりした後に続く二分音符を半分の価値で演奏してしまったりするのだ。
自分が苦手なパターンを知る事。
譜読みの段階でこういう苦手なパターンを発見し、数えながら吹けるテンポに落として吹く事。
それさえ守ればできないはずはない。
よっしゃー、次回はやったるぞ。と張り切る私だ。




フルートをステージで演奏するときは、そりゃもう緊張との戦いで、逃げ出したいような気分になる。
おそらく寿命がいくらか縮んでいることだろう。

それに対して、歌の本番では、朝から思い切りテンションを上げて、聴衆を私のパワーで飲み込んでやるんだという気概に溢れ、失敗する不安や過渡な緊張感は不思議となかった。

暫く前のGalway Flute Chatで、「みなさんは、本番直前に控え室では何をしていますか?苦手なパッセージを練習していたりしますか?」というような質問を投げた人がいました。
イギリスのプロの演奏家から「ありえない!それはその曲の準備ができていないということだ!」と返信されていました。

プロにはありえない話しでしょうが、へっぽこシロートは自分の出番直前まで悪あがきしたくなるものです。その気持ちはわかります。実際にいつもそうしてきました。

ですが、今回の歌の本番では、上がったテンションをどうキープするかということだけを考えていました。
格闘技の選手が試合前に「あの野郎。ぶっ殺してやる。俺は世界一強いんだ、絶対にぶちのめしてやる!」と自分に言い聞かせているかどうか選手に聞いたことはないのですが、たぶんそんなような自己暗示をしているのではないでしょうか。

歌もフルートも音楽で思いを伝える、聴き手のココロを動かすということでは同じなはず。

なぜかわからないが人前でフルートを演奏する時にテンションを上げて臨むということができるかどうかわからない。

フルートは歌と違って「吹く」技術にまず囚われてしまうからかもしれない。

楽譜を観ながら演奏するということに、何か仕上がっていないものを披露するような後ろめたさを感じる今日此の頃なのだ。

2014年3月17日月曜日

香梅の下で

昨日は晴れ渡る空の下、梅香る丘にご近所さんが集合し梅見会。

初顔合わせのアコーディオンとキーボードと調性やら間奏やらを直前に打ち合わせ。

ご近所の主婦が持ち寄った手作りのごちそうとお酒がたっぷりあるのだが、酔うとフルートが吹けないのでビール三本だけ。

全く響かない屋外での演奏。
近くよりすこし離れたところのほうがよく聴こえたとのレポートをいただきました。
お?遠鳴りしてるってことか

お世辞だと思いますが、奇麗な音ですね、との評価にビール三本で我慢した甲斐があったかも。
新潟から取り寄せた大吟醸。せっかく持参したのに一滴も飲んでない。トホホ。

2014年3月16日日曜日

土曜コンサート

昨日は近所のホールで行われた無料の土曜コンサートに出かけて来た。

オケのフルートパートメンバーによる全員女性のアンサンブル。

優しい風が奏でる音色にとても癒された。

「おもちゃの交響曲から」では水笛やおもちゃのラッパが登場する。

いやー、ちょっとくだけた曲だけど、この楽しさこそ音楽の原点かもしれない。

水笛とおもちゃのラッパが欲しくなった。

たぶん数百円くらいだからいつか買ってみようっと。



さて、今日はこれからご近所の梅見会。

かつて、お酒飲んで人前で演奏して大失敗した経験上、飲むか、吹くか、どちらかにしたいものだが、だぶん両方取るだろうなあ。。。

まあ、みんなで楽しむ趣旨なので、とっちらかってもいいのだ、楽しければ。

行ってきまあす〜♪

2014年3月14日金曜日

練習時間を減らして

来週の歌の本番を優先するためにフルートの練習を従来の三分の一程度にしている。

ですが、あまり時間がないとなると、その分自然と内容を詰める自分がいる。

これまで、スケールやT.G.を吹いている時って、どうかすると考え事して、そのまま空想の世界に入ることがある。
慣れている練習は、そんなに集中していないってことなのでしょう。

ですが、時間が取れないとなると、考え事している暇がない。
それでも丁寧に練習するように心がけないと、練習そのものがいいかげんになってしまうので戒めながらね。

アダルトビギナーの場合、長時間練習したからってそんなにいいことはない。

効率よく楽しめればいいのさ。

菜々子は今日もよく鳴ってくれる。プロになったつもりで、自由に音をコントロールできる自分を想像しながらね。

そういう自分を想像すると、いくらかプロみたいに吹けているような気が一瞬したりするが、すぐ綻びが出る。そりゃそうだわな。。。


で、今日はなかなか予約が取れないと言われている都内某所のフレンチビストロを友人が取ってくれたので、旨々しながら、いつものフードポルノ。

次回を予約したのだが、7月になってしまった。
不景気でも香りづけがあると人が集まるのだな。
しっかり感あるピノ
胡桃、ゴルゴンゾーラが旨々のサラダ
エスカルゴ
フォアグラとキノコのパイ包み
フォアグラの作り方さえ想像しなければ、これほど旨いものは珍しい 

代々木ヴィレッジ
ウエストミンスターで聴くジャズ
この位置で聴くとデュアルコンセントリックのTANNOYがばっちり中央に定位するはず。

まあ、しかしTANNOY社の香りづけのようにはなかなか行かないのだな。

同軸スピーカーと2Way、3Wayをブラインドで聴き分けられる人がいるだろうか?
フルートの材質の違いを聴き分けるより難しいのではないだろうか。
音大出身者でも難しいと思うのだがどうなんだろうか。

2014年3月10日月曜日

コツコツと前進

アダルトビギナーの場合、コツコツ練習することが苦手だと楽器演奏には向かないかもしれない。

アンデルセンのエチュードの練習方法として、全てスタッカート、ティヤタタ、タタティア、という三つのアーティキュレーションと、七つのリズムで練習するように前回のレッスンで言われた時は、内心気が遠くなる想いがした。

ですがやってみるとこれがなかなかいいのだ。

一通り練習すると、それだけで10回吹くことになる。

いろんなリズム、アーティキュレーションでやるので、飽きない。

楽譜どおりに10回も吹いたら飽きてしまう。

飽きることなく、何度もやるので運指を覚える。

いいこと尽くめではないか。

コツコツやらなくても、スラスラできてしまえばいいのだけれど、、、。




来週の歌の本番演奏に向けた練習を優先せざるをえない状況ではあるが、それでも斜腹筋とソノリテとスケールとアルペジオとT.G.は欠かさない。

で、どれほど前進したかと言うと寂しいかぎりだ。

2014年3月6日木曜日

C. J. Andersen: Eighteen Studies for the Flute, Op. 41

レッスンでした。

練習不足のせいか今日は(も)厳しかった、、、。

初見テスト。

二拍子の一拍に二音と三連符が交互に出てくるいやらしいやつ。

できているつもりなのだが、三連符が速くなっているのだそうです。

一拍毎に、「ネコ、コネコ、コネコ、ネコ」と言った具合に具体的な言葉を当てはめるとうまく行きます。

なるほどね。これは勉強になった。

Garibordi Op. 132の最終曲は自宅では一度も間違えたことのないところを間違える。

それも、何度も。

ちょっと休んで、他のから先にやりましょうということになってしまった。

ということで先に新しいエチュードのAndersen Op.41#1
十六分音符が規則正しく並んでいる場合は、たいてい滑らかに演奏することを期待しているのだそうです。
でも滑らかになんかいかないもんね。

その場合の練習方法はメトロノームを使ってリズムをいろいろと変えてみることだそうです。
そういえば神田のぞみさんのブログにもその方法が紹介されていました。

こんなにたくさんのリズムパターンで吹くのか。。。。

武者震いするのう。

帰宅して早速今日教わったことを試してみたかったのだが、合唱の稽古のため今日のフルートは店じまい。

Andersenと格闘してからGariboldiをやったら無事に◯をもらえた。

結果はよかったけれど、演奏に原子力ムラがあることだけは確かだ。

2014年3月5日水曜日

手段と目的は転倒するもの

なのですね。

音楽を高いクオリティで記録、再生する技術が当たり前の現代では、今聴きのがしても、何度でも聴き直すことができるわけです。

そうすると、つい聴き方が等閑になって真剣に貪るように聴く必要などないわけです。

そして、再生装置の優劣に目が行ってしまします。

仕事から帰宅し、お気に入りのレコードに針を落とし、それなりのオーディオ装置から流れる音楽で至福の時間を楽しむなんて大人のいい趣味だと思います。

ですが、かつてはオーディオメーカーの香りづけされたキャッチコピーと評論家の訳知り顔な批評に踊らされ、サラリーの大半をハイプな装置に費やした人達が大勢いました。

音楽を聴くために購入したオーディオ装置なのに、いつしかいい音を聞くためだけの機械として、とっかえひっかえされるようになったわけです。

3ヘッドのテープデッキにオシレーターをつないで、出力側のVUにドロップアウトを発見しては落ちこんでメーカーにクレームする人。

オーディオ装置に触れる時は白い手袋をせずにはいられない人。

本に書いてある音と違うと言って、装置をバラバラに分解して組み立てられなくなった人。

評論家の真似をしてパイプを咥えるようになったが、レコードを3枚しか持っていない人。

チャイコフスキーの序曲で大砲が鳴るところをトレースできるカートリッジを絶賛し、楽曲を聴いていない人。

本末転倒だ!などと言う気はありません。
本末はだいたいにおいて転倒するもの。
ただしそのことに気がつくセンスは大事だと思う。


今日もフルートは150回の斜腹筋とソノリテ音色の同質性とスケールとアルペジオとT.G. EJ4の他にはエチュードを軽く復習ったのみで歌の個人レッスン。
ピアノとのアンサンブルで遅れる傾向があることと、つい腰を入れて歌うことを忘れ、平べったく歌ってしまうクセを猛省。
先生の指導により、声を響かせて歌うことができてくると実に気持ちいい。
問題はすぐに、その方法を忘れて楽な歌い方になってしまうことだ。

明日はフルートのレッスンなのだが、うまく表現できるだろうか。。。
まともに吹けない曲でも、思い切り表現してみるようにしてみたい。
これは目的に叶ったひとつのチャレンジなのだ。


賞味期限?気にしません!


300gのサーロイン。
ボルドーと一緒に旨々♪

2014年3月4日火曜日

音楽の氾濫

そもそも音楽は一回性であるが故に美しさも際立っていたのではないだろうか。

録音技術ができて150年ほど経ち、ヒスノイズやスクラッチやワウフラッターのないCDの登場でそりゃ便利で快適な生活になったわけですが、いつでもどこでも、貴方が聴きたかろうがなかろうが、音楽を押し付けることがサービスといわんばかりな日常に疲れることがある。

その典型が商店街のラウドスピーカー。
電柱に取り付けられた低音が全く鳴らないスピーカーから流行歌がキンキンと流れている。
「xxxx商店街、クリーニングはzzzz、安くて高品質なクリーニングを提供するzzzz。パチンコは駅前yyyy、くつろぎのひと時をyyyyで是非!、、、、その他」

みんな、これ気にならないのかなあ???

TVCF。
たった数十秒間で強力に自社のマーケティングメッセージを表現する商業芸術の世界を楽しむこともできなくはないのだが、CFになると音がでかく聴こえる。
音量は変わっていないようなのだが、目立たせるために平均変調度を上げているようだ。
なにせ五月蝿い。
CFになったらオートミュートする機能がついたテレビがあったら数万円高くても買いたい。
ないので、仕方なく、マニュアルでミュートしている。

防災行政無線xxx放送。
「92歳のzzz さんが行方不明、、、、、云々。」
これは音楽放送ではありませんが、何を言っているのか、ほとんど聞き取れません。ただ、音が大きい。
ジョージ・オーウェルの「1984」を想起して実に嫌な気持ちになるのは私だけではあるまい。

一回性の頃の音楽の感動は一入だったのではないかなあ。

人はそんな過去に戻ることはできないが、せめてその頃の状況に想いを馳せて一回一回の音楽に向き合ってみることも新鮮でいいのではないだろうか。

2014年3月3日月曜日

アンサンブル・リリ

2001年に買った車は、購入当初は年間1万キロほど走ったが、その後乗る気力が失せて、このごろは年間1,000キロも走らない。
未だに4万キロ台だ。

旧いしフェラーリに買い替えようかと思ったこともあったが、乗らないものを所有、維持するだけでも無駄なのに、買い替えるとなると更に無駄。

旧くなってもサビはないし、ボディのヤレも感じない。
新車のコンディションとあまり変わらないので、そのまま乗って持っている。

で、二年前に続き、ユーザー車検を受けて来た。

いたって簡単。6万円台で済んだ。

そして、午後からアンサンブル・リリのコンサートに出かけて来た。
桐朋学園出身のピアノとヴァイオリンとフルートのトリオアンサンブル。

うまい。

半端なうまさではない。

特にびっくらこいたのはチゴイネルワイゼンを見事にフルートで表現していたことです。

技巧をひけらかすだけの演奏って音楽としてどうよ?
てな気持ちがこれまでがありましたが、技巧は技巧で人のココロをを十分に動かす力を持っています。
技巧だけではなく、豊かなダイナミックもココロにぐっときます。

いい音楽を楽しめました。

アンサンブル・リリさん。ありがとうございました。
思わず感動してしまいました。おじちゃんは。

2014年3月2日日曜日

Say What You Need To Say

フルートを再開して3年になったことを機に、バッハの6番ソナタの二楽章を録音してYouTubeに挙げる事を企んでいたのだが、歌の本番と近所の梅見会でのフルート演奏がせまっており、記念すべき再開3年目の録音はしばらく中止。

なので、フルートは今日も斜腹筋と基礎練習を二時間程度しただけで歌の暗譜に終始した。


映画「007スカイフォール」観る
アカデミー賞を楽しみにしている友人がいる。
おいらはテレビドラマの延長のようなハリウッド映画にはあまり興味がない。
地味だが手応えのあるヨーロッパの映画が好きだと言ったところ、それなら007はどうかと言われ、観た事がなかったので早速観てみた。
だが、これとハリウッド映画との違いがわからない。

映画「最高の人生の見つけ方」観る
派手で刺激的な作品が多いハリウッド映画の例外。
モーガン・フリーマンは誰にも恥じる事ない生き様の末に生涯を終えた。

それに比べおいらは恥じ入ることばかりだ。
精神性をかけらでも信じるなら、最後まで信じ通す覚悟を何故もたなかったのだろうか。
かつてはその手を握らずにいられなかったのに、その時握るエウリディーチェの手は冷たくなりかかっていた。
失った者はあらゆる可能性を考えるものだ。
瞬時の気の弛みが他者の運命を左右することなどあろうはずがない。
だが、彼岸と此岸の分かれ道では、朧げな精神性であったとしても、アウシュビッツ駅に着いたユダヤ人の最初の選別のように人の運命を決定づけることもあるのではないかと思えてならない。
堪え難い自責の念をも、変える事のできない過去として、自己の認知の変容に置き換えることで解決できるほど現実は簡単ではない。

2014年3月1日土曜日

右足に重心で安定した

いつものように斜腹筋のトレーニングをしてから音色の同質性を練習。

普段、何気なく真っすぐ立っているのですが、今日は特段意識することもなく、吹きながら体が少しだけ揺れた。

揺れながら、あるポイントがとても安定して発音できることを発見!

右足に重心を置いて、脚の付け根の関節がその重心にしっかり載っている感じ。
その時の発音は音が揺れずにすこぶる安定する。

まてよ、

珠玖加奈子さんのWebサイトにあるGalwayの立ち方って重心は右足だっけ左足だっけ。


右でした!

同じでよかった。

左だったら、また迷うことになるもんね。

ふとした事から自分にとって大きな発見ができてとても嬉しい。

「♪幸せーをー、感じるーときって〜、どんなときー、、、♪」
幸せなとき
作曲:安藤由布樹、歌:新南田ゆり


ささやかなことだが、こんなとき、幸せを感じる。