2013年11月20日水曜日

ヤマトイモ 

ご近所のフルートアンサンブルのリーダーTkさんから大和芋が大漁なのでお裾分けしますとのことで大和芋をたくさんいただいてきました。

おろして冷凍にすれば日持ちするとのことで、懸命に皮を剥いておろしました。

手がかゆい。


八木玲子教授によれば、フルートは近代化とともに、穴の数が増えてきたが、尺八は逆に穴の数が減ったのだそうです。
そして、それぞれの楽器が発する音のスペクトルを分析すると、フルートの方は、ほとんど可聴周波数帯に収まるのですが、尺八は可聴周波数帯を超える超知覚領域の音の成分がたくさん含まれています。

これは、歌の世界でも同様で、西洋の歌は近代化とともに、周波数成分が可聴域に限定されていくのに対して、東欧、東アジア地域の歌は非可聴周波数成分を多く含むのだそうです。
つまり、西洋の近代化が聴こえないモノに対して冷遇するようになり、聴こえる範囲を大事にするという合理性を重視したからだと言えるのだとか。

尺八をフルート風に吹いた演奏と、虚無僧が吹く伝統的奏法と、音色の変化を強調した演奏を較べると、フルート風の演奏のスペクトルより音色の変化を強調した演奏に、より多くの超知覚領域成分が含まれ、ミクロな時間的領域でスペクトルが劇的に変化します。

そして、演奏を聴くと、音色の変化を強調した演奏は、深く波乱万丈な音色で、不安定性、複雑性をあえて増幅しながら発達してきたことがよくわかります。

西洋のフルートが音の安定性、一様性を追求して発達してきた一方で、日本の伝統的な楽器尺八は、一見、素朴で単純な構造だが、演奏者の身体的、精神的な変容を増幅し音の構造に極めて鋭敏に反映しながら深く豊かな音の表現の次元を築き上げる、極めて高度なハードウエアであると。

フルートで豊かな表現をしようとすると、多彩な音色を使い分ける必要があるということをよく聴きますが、もしかすると、西洋の近代化の限界が楽器そのものにあるのかもしれませんね。

そこまで思い詰める領域に至っていませんので当分の間、心配ありませんが。

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