2013年10月31日木曜日

簡単なリズムが難しい

今日はフルートのレッスンでした。

まず、初見の練習をGariboldiの最も簡単なエチュードから。

B Durのスケールを吹いてから、30秒ほど楽譜を眺める。

なんだ、四分の二拍子で四分音符と八分音符だけじゃん。

こりゃ、簡単だわ。楽勝だぜぃ、その分ダイナミックに注意して吹いてやろうじゃないの。

と、思いきや、、、。

あれ?

あれ?あれ?

裏拍から出るところのリズムが、、、、。

子供でもできそうなリズムができなかった。。。激しく落ち込む。

いや、子供だからこそ簡単にできるのだと考えよう。なんて前向きなんだ。


拍の数え方が案外難しいという話になって、それではとバッハの1035の一楽章を吹いてみる事に。

CDでプロの模範演奏を聴いてしまっているために、耳覚えが却って邪魔しているようです。宮前丈明さんの演奏は三連符に入る前の付点でためて、三連を少し速くしています。
その演奏が耳についているので同じように吹いたのですが、いかにも何かの真似をして吹いていることがバレバレなのです。
インテンポで吹いてみてください、と言われてもインテンポになりません。
インテンポの拍の感じを体がしっかり知っていて、その上で音楽的にテンポを崩すのと、なんとなくそのつもりで吹くのとでは聴こえ方が違うそうです。

始めの二つの音の取り方でテンポが決まるそうです。そこで決めたテンポの通り続けて演奏しないとアンサンブルは揃わないそうです。

シランクスなども、シロートが耳で覚えて真似することはできても、きちんと数えながら吹けないとダメだそうです。

うーん、難しいなあ。。。

バッハの1035の一楽章は六十四分音符まであります。

これを正確に吹けていませんでした。細かく数えて楽譜どおりに吹けるようにしないと。。。

一小節に四分の四が二つあると考えてメトロノームをセットし、頭の拍がカンと鳴るところがずれていないかチェックするべし。

そして、二楽章。
ゆっくり吹いたにもかかわらずアーティキュレーションがボロボロ。
アルテスをしっかりやっていればこれくらいできるはずだそうです。
アルテス、しっかりやれてなかったんですね。
ゆっくり正確なアーティキュレーションができないのに速く吹けるはずがありません。
そして楽譜によってアーティキュレーションの記述が違っていたりするそうですが、バッハの場合は、どう吹くべきかをよく研究して吹かないといけないそうです。

ううう、。楽しみにしていたバッハはものすごく難しい。

まずは、正確に数えられるようにしないと。
楽譜がこんなになってしまった。
ピンクのマークがメトロノームのカン!

そんなこんなで、想いの丈を表現しようと思っていたGariboldi Op132#15にはたどりつけませんでした。
しかも90分のはずが120分もレッスンしていました。
楽しいと時間の経つのが速いことはよく経験しますが、楽しいというか、吸収しようという緊張であっという間でした。

早く、バッハを吹いてみたいのですが、もう遅いし、とりあえず指をタクトにして譜読みしてから寝るとしよう。

2013年10月30日水曜日

音楽の演奏はサイボーグであってはならない

今日は歌のレッスンでした。

ハーロウの実験では、お猿さんは哺乳瓶付きのワイヤー製人形よりも、哺乳瓶なしの柔らかい布製の人形を選ぶのだそうです。

食欲よりも肌で感じるもののほうが人は大事である。

人工的なものではなく、肌触りのよいものが心地よい。

私の演奏はサイボーグのようなのだそうです。

サイボーグだったらきっと正確無比なリズムと音程でしょうけど、、、。

感情にフタをせずに自然にすること。

カッコつけていたら心の底にある感情が出てこない。

感情の出てこない演奏に人は感動するはずがない。

心の底からワナワナと涌き上がる感情を出しちゃえばいいんです。

そしてピアノと一緒に部屋の空気を動かす感じ。


明日はフルートのレッスンです。

テンポの速いエチュードとバロックのアレグロですが、歌のつもりで思い切り出しちゃおうと思います。

感情を出す前に音を間違える恐怖がありますが、めげずに体当たりなのだ。

明日が楽しみなのだ。

2013年10月29日火曜日

ミラノ・スカラ座のリゴレット 

我が歌の師匠がライブで観たミラノ・スカラ座のリゴレットがテレビで放映されました。

2006年録画のDVDに較べると、舞台の装飾がひどく豪華です。

マントヴァ公爵がイタリア流のダブルブックで代役になっていますが、リゴレットと娘のジルダが役に完全になりきっている感じは変わりません。

思うにマントヴァの魅力とは一体何なんでしょう?

卑劣な恥知らずかと言うと、一時とはいえジルダへの恋心はホンモノのように見えます。

ジルダは騙されていたのでしょうか?

マントヴァはその時々の真実を語っていたのかもしれません。

ジルダが気の毒なだけではありません。父親の愛への裏切りはどう考えたらいいのでしょう。

なんだかソープドラマ批評している奥様方みたいですけど。

役になり切って情感を思い切り表現する。

吹き始める前に、テンションを上げて想いの丈を音にぶつける。
そんな感じで吹くと結構疲れる。

どうかすると、嗚咽して吹けない。

それでもそういう感じを忘れてはいけないような気がする。

明日は歌のレッスンです。

レッスンに通ってもなかなかうまくならないのですが、それでも音楽というものの何たるかが、わかってきたような気がする。

その勢いで人生の意味にもヒントが欲しい。


映画「コンタクト」観る。
ソートイ教授の「素数の音楽」の冒頭で「コンタクト」で宇宙人が人類に対して素数を信号として送ってくることが、すなわちインテリジェントな生命体が地球上にいるかどうか知るための手段として使われたとのことから観てみる事にしました

地球上にインテリジェンスがあるかどうかは、多くの人が血液型を話題にしたり、テレビドラマばかり観ていたり、写真を撮影する時に必ず指でVサインをしてピースすることや、「水からの伝言」をまことしやかに力説する人が多いことから明らかだと思うのだが、、、。

人々は人生の意味に飢えている。

「ツリー・オブ・ライフ」を観た時に感じた、アメリカ人のキリスト教に対する猜疑心がテーマのように感じられた。
それにしても映画での日本の位置づけはU.S.の下請けなのですが、田舎のアメリカ人は本気でそう思っているに違いない。

存在しない神を人間が作った。よりどころを求めて。
孤独を癒してくれるのはお互いの存在。
我々はより大きなものの一部で、孤独ではない。

人生の無意味と孤独が怖いんだね、みんな。

2013年10月27日日曜日

iPhone ボイスメモの整理

練習やレッスンを録音して聴くのって、自分のアラが嫌という程わかるので辛いのですが、いい勉強になることは確かです。

ICレコーダーを使っている人をよく見かけますが、iPhoneがあれば長時間、手軽に高いクオリティで録音することができます。

で、録音がたくさんたまるので、iTunesで整理しないと次第にわけがわからなくなってきます。

このあたりの整理整頓がきちんとできるかどうかで、人生の楽しさはだいぶかわってきます。

ところがデフォルトのままだと、プレイリストに仕分けした音がiPhoneにリンクされません。

前にも同じことで悩んでいろいろやってみたのですが、素早く目的を達成するための合理的な手法を知りたくてアップルのサポセンに電話してみました。

始めに電話に出るディスパッチャのナレッジレベルはたいてい低いと相場が決まっています。
こちらの問題点をきちんと理解する能力がないので、スペシャリストにきちんとエスカレーションされない。

また同じ説明をしなければならず、ちとまだるっこしいのですが、さんざん待った末に対応に出たスペシャリストはナレッジベースからすぐに回答を見つけることはできませんでしたが、自ら問題を再現し、ソリューションを調べて折り返し連絡してきてくれました。
問題解決まで多少時間がかかりますが、こういうサポートの姿勢はいいですね。
会話していて実に気持ちがいい。
スーパーサポートよりも、ユーザと一緒になって問題解決を計ろうと言う姿勢が大事ですね。
丁寧にお礼を言ったら、先方も嬉しそうでした。

環境設定>読み込み設定>設定 で iTunes Plusを選択したら、ボイスメモから整理したいファイルを選択して(複数選択可)controlクリックでAACバージョンを作成すると同じファイル名の複製ができますので、そいつをプレイリストに仕分けして管理すればいいのです。

2013年10月23日水曜日

スケールの練習は音づくりに通ず

今日は吹き始めから、音がつまる感じで低音域がうまく響かない。

そういう時のスケール練習はひときわゆっくり。

すると段々と響きが出てくる。そして、スケールもスムースに。

まあまあかな、今日は。

一週間ほど前から口を大きく開けると左顎が痛い。

ほっとけば治るさと放置していたが、何かとてつもなくやばい病になっていたらと考えると恐ろしい。

近所の口腔外科に行ったら、単なる顎の筋肉痛。

ストレスで軽度の歯ぎしりがあることが原因との判定。

マウスピースを作るより、睡眠に工夫をすることが良いだろうとのこと。

よい歯科医とは、やたらに治療したがらないと聞く。

近所によい歯科医がいてよかった。

それにしてもよい歯科医なのに患者がいない。

いろいろといじってくれる医者がありがたがられるものなのかもしれない。

2013年10月22日火曜日

感情移入

我が歌の師匠のコンサートに行ってきました。

師匠の指導は只管「感情移入」。

歌いだす前から、その曲の感じになりきっている表情は凄まじい迫力です。

その師匠は、「椿姫」でビオレッタ役を演じる3時間前から楽屋で役になりきって号泣したそうです。
そうすることで、はじめて浄化されるのだそうです。

そのくらいの気持ちで役になりきることを私にも要求します。

レッスンでは、そのつもりで試みて嗚咽して歌えなかったこともありますが、それでいいのだと言います。


これをフルートに応用できるだろうかと考え、このごろは、フルートもそのつもりで吹いているのだが、歌詞がないだけに自分の好き勝手なイメージで吹いています。
「やりすぎです!」と言われるまでそのつもりで吹いてみようと思う。


休憩をはさんだ第二部の冒頭で指名され、「ラストワルツ」を歌うはめになりました。

真剣に楽曲に向き合い、「その気」になって自分を表現すれば、たとえ聴衆が何千人いてもあがったりしないそうです。

100%その気になったとは言えませんが、ワインも手伝ってあがりはしませんでした。

シロートへのお世辞半分だとは思いますが、大きな拍手が嬉しかった。

今度、人前で演奏する機会があったら、どっぷりと自分の世界に入って、唯我独尊状態で演奏してみたい。試みとしてね。

やはり、音楽は聴くだけではなく、自ら演奏することで楽しみが倍増しますね。

生きててよかった。

2013年10月21日月曜日

なんでフルートを吹いているのか? 

そんなことを考える時はたいてい元気がありません。

人生の意味について考えてしまうからです。

ヘンデルのソナタのアレグロはチェンバロのカラオケに合わせてなんとかインテンポで収まるようになってきた今日此の頃でしたが、今日は全くダメです。

気を取り直してやり直そうとする気力がありません。

音色の同質性を半音のインターバルのみ、全調のスケールとアルペジオ、T.G. EJ4、エチュードGariboldi Op132 #15だけはきちんとやりましたが、曲はやりませんでした。


「素数の音楽」マーカス・デュ・ソートイ著
を買ってみました。
ちょと難しそうですが、なんとなくでも何かが見えてきそうな予感がします。
600ページ超が少し痛い。


2013年10月20日日曜日

コールセンターよ、卑屈にならんでね!

使っている製品がマニュアル通りにいかないことがあり、アップルとパナソニックのコールセンターに電話しました。

両社とも、適切に対応いただき、当方の調査不足やら、原因不明なるも切り分け方法を指導いただき、それは本当に助かりました。

パナソニックは既に保証期間を過ぎているにもかかわらず、丁寧に対応してくれました。

アップルはアップルケアの期間内なので相談できましたが、ケアが切れていたら対応しません。

一見、アップルよりパナのほうが対応がいいように思えます。

が、しかしどうなんでしょう。

サービスを買っていない人にまで対応するということはそのコストは誰が負担するのでしょう?

友人が某国産PCを買い替えたところ、Win8の使い方がわからず、PCメーカーのコールセンターに電話して、使いづらいことを伝えたら、コールセンターは「申し訳ございません」とWin8の使い方について説明してくれたそうです。

この場合は、PCメーカーが自社製でないOSの説明まで含めて対応(しかもお詫びまでして)することを覚悟の上でマーケティングすることを決断したのだと思います。

それにしても各社、電話での対応が妙に卑屈です。
お詫びすべきでないことにもやたらお詫びします。
おいらがひねくれ者だったら、「あなた、なんでそこで詫びるねん?なんかやましいことでもあるんちゃうか?」と言っていたかもしれない。

何か腫れ物にでも触るかのように、籾手刷り手する様子が電話の向こうに見えます。
「もしもしィ、たーいへん長い事お待たせして、本当にもうしわけございませーん。」
「たーいへん申し訳ございませんが、ハイ、お使いの機種名と、ハイ、シリアルナンバーはおわかりになりますでしょうかァ、お手数かけてェ、本当に申し訳ございませーん。」

最近のコールセンターがここまで卑屈になるってことにはおそらく理由があるはず。

ひと月の離職率30%。

コールセンターは激務なようです。

一方で、お客は神様のごとく偉いものと勘違いしたおバカクレーマーが多いと聞く。

上質な「おもてなし」を得意とする我が国民は、時として悪質なおバカモンスタークレーマーとなるとは皮肉なものです。

コールセンタースタッフの評価はどのようになっているのでしょう。

もしかすると、マネージャへのエスカレーションが多いスタッフなどは、減点法で評価が下がるのではないでしょうか?

故に、妙に卑屈になるのではなかろうか?

そうではなくて、ケース後のエバリュエーションで評価する、または、指名制にして指名の多い人を評価するという加点法にしたほうがモチベーションが上がると思うのだが、どうだろう。


高音域をppで吹くことは、どうもうまくいかないものの、強く吹く事で発音することは避けることができる。

日々、練習なのだ。

2013年10月19日土曜日

オンキョーのミニコンポのCDトレイが出ない

友人が訪ねてきて、拙宅のミニコンポにDVDを入れたのですが、なんとイジェクトボタンを押してもディスクが出てこなくなりました。

筐体を開けて、ピンセットでディスクを取り出したのですが、やはりトレイはイジェクトボタンで動作しません。

10年前の製品だし、寿命かなと諦めかかったのですが、電源コードを抜いて、しばらくして再投入したら、なんと治ってしまった。

同様のトラブルはよく聴く話で、価格が安いこともあって買い替える人が多いようですが、このようなシンプルな対処で元に戻ることもあることをどれほどの人が知っているものか。

DADA LMDやBobby Brownの懐かしい映像が再現できました。


高音部をppで響かせる練習はどうもうまくいきません。

ですが、そのつもりでゆっくり練習することで少し先が見えてきたかも。


2013年10月18日金曜日

高音のHが出ない、、、

初心者は誰でも苦手だと思うのですが、例にもれず私もHは最も苦手。

スケールの練習は♯系が苦手で、♭系の方がうまく吹けます。

何故なのか考えてみました。

3オクターブのスケールを吹くと、♯系はHまで駆け上がります。
そして、Hの前はAから。
階段の段差が全音あるわけです。

♭系はB(Hes)まで。

ただし、Ces Dur、Ges DurはCes(H)まで駆け上がりますが、その前がB(Hes)。
階段の段差は半音。

B(Hes)からだと楽に階段を昇ることができます。

分散和音も出にくいFisからHに上がる時は楽に出ます。


先生曰く、高音部に駆け上がると同時にデクレッシェンドする練習が有効だとのこと。

高音Hは息の量や力で出すのではなく、少ない息でスピードを保ち、他の音とはやや狙いが違うのだそうです。
その狙いに命中させるべく、ppで響くポイントを探すのだ。

2013年10月16日水曜日

演奏は感情表現

今日は歌のレッスンでした。

これまでは歌う時に背中を入れるだとか、頭蓋骨の真ん中から後ろに引っ張る感じだとか、びっくりした顔で鼻腔に響かせるだとか難解な言葉からあるべき奏法を想像しながら歌ってきました。

歌うための諸注意を心がけると感情移入が後回しになりがちです。

そして今日は、私に欠けている最大のポイントである、感情を入れるために歌詞を暗記し、その気になって歌ってみました。

先生曰く、「聞き惚れてしまったので修正ポイントをコメントできません。」

まあ、大げさに褒めてくださったのだと思いますが、、、。

楽器の演奏も同じなのだそうです。

具体的な意味を持たない音符の連続ですが、フレーズからイメージできること、表現したい具体的なイメージを聴き手に伝えるように心がけることが大事なのだそうです。

明日はフルートのレッスンです。

課題曲は全て速い曲ばかりなのですが、それでもイメージをしっかり描いて吹いてみたいと思う。

ヘンデルのアレグロは、台風の中の練習で、もうこれ以上できないだろうという速さのシングルタンギングでもできるようになりました。

先生の前で同じようにできるかどうか。

それが問題です。

2013年10月15日火曜日

台風に隠れて

台風の対策で雨戸を全て閉め切っても外の轟音が聴こえてきます。

これはチャンス。

夜でも吹ける(笑)。

pでヘンデルの速いところを何度も復習ってみました。

昼間だったらひたすら高音域の練習にいいかもしれません。


映画「スターリングラード」観る。
戦争は悲惨だ、、、。

2013年10月14日月曜日

J.C.ジェラールさんのコンサート

昭和音大のユリホールで行われたJ.C.ジェラールさんの演奏会に行ってきました。

首を大きく傾げて、かなり楽器を斜めにした特徴ある構え。

最終曲はバッハの管弦楽組曲でした。
アンコールにまた最後に演奏したバディネリを楽譜を見ずに、今度は思い切り装飾を入れて吹き切り、それはもう見事でした。

ものすごく難しい曲芸で最後を飾ったのかと思ったら、もう一曲アンコールを演奏したのですが、これがなんと「赤とんぼ」。

初心者でも吹ける、一般的には簡単な曲です。

が、しかし、彼の奏でる旋律はとても美しい。音も、強弱の表情も、よくわからないけど、微妙な音程の取り方もいいのだと思う。

曲芸のような曲で「どうだ、こんなに吹けるんだぜぃ。」で終わらずに、シンプルな美しさで締めくくったことがとても印象的でした。

こういう一見して簡単な曲を見事に演奏することがどれほど難しいか、、、。

つまり、簡単な曲なんてないってことですね。

季節の珍味



2013年10月11日金曜日

情報交換

かつてアンサンブルで一緒に吹いていた笛吹きのフルートが不調になり、私の近所のリペアのマイスター宅へおじゃましてきました。

彼女はシニアになってからフルートを始めて、現在某著名なプロのレッスンを受けています。

そして、著名プロとリペアのマイスターは友人関係。

シニアで始めた彼女は、プロからの観念的な指導が理解できずに悩んでいます。

すると、リペアのマイスターは、「楽器を演奏するってことは、できちゃう人には簡単にできちゃうんだよね。できない人にどうしたらできるのか説明するってこと自体がものすごく難しい。」

なるほど。

できる人にとっては難しくないからできるわけで、できない状態からできるようになったプロセスをショートカットしている場合は、人に教えようにも教え方に説得力がないよね。
その点、アダルトビギナーから教師になった笛吹きは、できない人の悩みを自ら体験済みなので案外いいかもしれない。



脱力を徹底しろと言っても、徹底的に脱力したら楽器を落とすし、、、。

彼女の楽譜を見ると、いたるところに凄まじいレッスンの痕跡の書き込みが。

先の音とのつながりを考えて吹く事。だとか、フニャフニャに脱力した状態でスープをさます要領で吹く。だとか、実際に声を出して「トゥーーーーーーー」とやってから、咽喉の音をアンブシャに置き換えて。だとか、、、

リペアのマイスターはウォーミングアップの時に、♪が細かく並んでいる曲、(ちょうどタファネル・ゴーベールEJ1のような)をppでゆっくり吹いてから、速度を上げることで脱力をキープできるそうです。

今日はいっぱい、いろんな情報を耳にしたので、早くやってみたくてワクワクしながら帰宅して、早速いろんなノウハウを思い出しながら吹いてみました。

急に耳から入れた情報だけでうまくいくものではありませんが、実際に声を出して吹いてから、咽喉の振動を口にもってくるイメージで吹いたときは、軽くピュアな音が周囲にふわっと響いているような感じがして気持ちよかったのだ。
アンサンブルで一緒だった彼女も「あ、その音いいですよーー。」と言ってくれたので嬉しかった。

ロバート・ディックのスロートチューニングに似ていると思った。

スロートチューニングは今でも、即効性のある音質改善法と思い、期待する音色が出ない時には度々試みているのですが、その場合いつもBlow Hardになっていたように思う。

声を出すことを止めてから吹く場合は、そっと息を吹きかけるような要領で吹くと響きが空間にふわーーっと伝わっていく。(ような気がする)

2013年10月9日水曜日

Gmailの受信ボックスのメールが消えた

WebでのGmailの受信トレイが新しくなりました。

するとどうでしょう。

これまでの受信データが全て消えてしまいました。、、、(汗)

実は全ての受信メールが重要データ扱いになってしまっていたために、受信ボックスではなく「重要」のトレイに移動していました。

何故そうなったのかは不明ですが、ひとまず解決。

革新的なITの世界ではルートコーズなど追求せずに、結果がよければそれでいいのだ。
金融業界だったら、詳細な経緯の説明と対策を文書で要求してくるところだが、そういう金融業界も頭取がヤクザに融資していたことを知っていながら隠すお粗末がマヌケだ。


ご近所の72歳になる紳士が、実はフルートを吹いていたことが判明。
48歳で始めたそうですが、もうこの頃は吹いていないそうです。

理由を尋ねると、指が回らないからだといいます。

ふーん、やっぱり指は10代前半だよねえ、、、。

ヘンデルのソナタのアレグロの速い部分は何度も練習したので暗譜してしまったのだが、それでも指が思うように動かなくて、音を間違える。

思うに、安定してフルートを構えているつもりでも、不完全なのではないだろうか。

指が難しいところをだけ切り出して練習するとできるのに、その前から続けて吹くと指が転ぶことが多い。

三点支持をもう一度検証しよう、と考えシャワーから出て、吹いてみたらバッチリ!

やったー!速いパッセージがスラスラできるようになりました。

嬉しくて、何度も何度も繰り返していたら、左手首の反り返るところ(調べたらIntercarpal articulationsと言うそうです。)が痛くなってしまい、キーボードをタイプするのもしんどくなってしまった。

Renさんに倣って、湿布して寝る事にしよう。

そこでわかったのですが、Articulationとは関節を意味するのですね。
音と音のつなぎは関節なのだ。
痛めたら演奏にならないのだ。

2013年10月8日火曜日

数えることが苦手、、、

バッハのソナタ第一楽章はアダージョとは言え、音が細かいので価値を正しく演奏することが私のようなへっぽこには難しい。

一拍を二つで数えても、どうにかできるのだが、ごちゃごちゃ込み入ってくると、一体いくつ数えたのだかわからなくなってくる。

えいやっぱ で何となくこうだろうと吹いてもメトロノームに嵌るようになってきた。

でも、本当はきちんと数えられないと、他の曲で応用が効かないんだろうなあ。。。

時間軸って、ぼけっとしてるとアレヨアレヨと過ぎてしまう。

人生もそんな風なんだろうなあ。


映画好きの友人から勧められて「最強の二人」観る。
これはイイ。
スーパーリッチ(カーネギー、J.P.モーガン、ロックフェラーほどではないが)の身体障害者と、彼を介護するゲットー出身の陽気な若者が妙に気が合う実話をベースにした物語。
ドキドキするような怖い映画は苦手だ。こういうハートウォーミングな映画ならどんどん観てみたい。

2013年10月7日月曜日

BWV1035 と格闘中

音作りや音階練習をしていても、早く終わらせてバッハをやりたいという気持ちが強くて、なおざり気味です。

そうなんです。私はセッカチ君なのです。

BWV1035は1976年、「フルートとともに」で吉田雅夫さんが取り上げていました。

もちろん、始めたばかりのその頃にこんな難しい曲など吹けるわけがありません。

バッハの時代のフルートは現在のモダンフルートではないので、フルートのために書かれた曲はほとんど♯系なのだそうです。
対して♭系はほとんどブロックフレーテのために書かれたそうです。

Es Durのフルートソナタ2番や、G Mollのソナタは、バッハの作品であることは疑わしいということでバッハ全集から消えたと言っていました。
Es Durのソナタはあまりに有名で、よく耳にします。
現在ではどう考えられているのでしょうね?

バッハは演奏家が演奏すべきことを全て楽譜に書いてくれた。だからバッハの音楽をいいかげんに装飾してはいけない。

バッハとシャイベがインプロビゼーションについて激論したそうですが、バッハはインプロビゼーションを許さなかったそうです。
モイーズの解釈

2013年10月6日日曜日

バッハ BWV1035は難しい、、、

バッハの BWV1035は私には難しい。

宮前丈明さんの演奏を聴くと、いかにも簡単そうに吹いているし、ヘンデルのソナタのアレグロも少し形になってきたし、先生が言うには練習すればできると言うし、とうとうあこがれのバッハのソナタにたどり着いたかあ、、、と嬉しくなっていました。

他の用事(フルート以外のアクティビティ)をしていても、早く自宅に帰ってバッハを吹いてみたいという気持ちでワクワクしていたのです。

ようやく時間ができて、心を弾ませながら、楽譜に向かったのですが、これは難しい。

耳覚えしたフレーズを自由に吹く分にはできますね。

できている気がします。

でも、

メトロノームを四拍子にセットするとうまくいきません。もちろん、ゆっくりやってもです。
そこで、一拍を四つに数えるべく、メトロノームを60/mにセット。

できた、できた、できました。

喜んだのも束の間、6小節目から三連符です。三連符を二拍に入れるのはまた難しい。


なので、まずは一拍を四つで数えて何度も練習して、拍子感をしっかり身につけてから一拍を二つで数える方法にしてみようと思う。

この方法でいいのだろうか、、、。

当面、他に方法を知らないし、次のレッスンまではこれでやってみるのだ。

2013年10月4日金曜日

先生が優しくなった(かも)

レッスンでした。

初見の練習はやや見慣れないリズムのある八分の三拍子。

うーん、ちとリズムが怪しいかなと思うものの、精一杯吹いて恐る恐る先生の顔を伺うと、、、、

「いいですね、完璧です。ただし、重箱の隅をつつくようなことを言えば、、、、、、」

おおお。やったー!

いつも厳しい表情で指摘がたくさん出るのですが、こんなことは初めてです。

少しは上達したのかな? いやいや、そんなに急に変化するはずがない。

次に少ない時間で猛練習したエチュードでしたが、前回のようなミスはなく、なんとかクリア。

やったー!!

ただし、次回の課題曲はとても難しそう。

エチュードってやつは意地悪にできているので、次から次へとハードルが高くなる。

そしてヘンデルのソナタ。

最も苦手なアレグロ。

始めはゆっくりと、次に慌てずにという指示で速く吹いた。

「今までで一番うまくできていますよ。」

おおおお。ほんまかいな。

なんだか、今日は嬉しいかも。

なんと、来年の秋の発表会にソロで何か演奏しないかとの提案。

うーん。。。

そも過渡な緊張に耐えられなくてアンサンブルをお休みしたのに、発表会ですか。

そうは言っても、本番の機会がなくなってからと言うものの、なにか目標がないので張り合いがないなと感じてはいました。

ヘンデルのソナタはそれまでに仕上がるだろうか?

仕上がったと思っても、本番の緊張で音が出なかったら落ち込んで立ち直れないだろうか?

練習で仕上がれば本番でとちっても、たいした問題ではないのではないか。

ヘンデルが仕上がらないと、何時まで経ってもバッハに行けないのではないかと言ったところ、別にそんなことはないですよとのこと。

いつかやりたい曲はたくさんあって、BWV1035なんかもそのひとつだと言ったところ、先生が楽譜を貸してくれました。

てことは、次回までにやれるだけやれてっことだよね。

なんだか興奮するなあ。あこがれのバッハ1035ですよ!

先生曰く、今やっているヘンデルより演奏しやすいとのことです。

そうかなあ。。。

でも、なんだかんだ言って、とても無理と思っていたヘンデルのアレグロも少しずつ形になってきたし、このごろフレージングってものがいくらかわかってきたし、ゆるいけど成長した感じがする。

そしてとうとうバッハが視野に入ってきた。

単に先生が優しくなっただけなのに勘違いしている可能性もあるかも知れないが、いくらか成長の自覚もあるし、勘違いのままでもいいからやってやろうじゃないの!

というわけで、久しぶりに国内最高のピッツァ。
ミディアムボディのビザール
カボチャのスープ
イベリコ、セラーノ、タコ、酸漿、サザエ、カラスミ
ズッキーニ、人参、カボチャ、柿、その他の釜焼き
炙り白子
大葉とアスパラとタマネギとなんだっけ、、、
モモとマスカットのフルーツピッツァ

2013年10月3日木曜日

ここが変だよ E.C.ムーア「フルートを吹く人のために」佐々木真訳

多くの笛吹きがバイブルにしているマルセル・モイーズ De la Sonoriteの解説本として有名なE.C.ムーア「フルートを吹く人のために」吉田雅夫監修 / 佐々木真訳ですが、これが却ってソノリテをわかりにくくしているように思えてなりません。

P.37 の脚注に
「・・・第三間のC#音から下第一線のCまでの下降音階で、低音に下がって行くに従い下顎は少しずつ後ろに引かれるというのがモイーズの奏法である・・・
とあります。

ですが、

モイーズのDe la Sonoriteの原書には、
For the difficult notes, taken in the following order
the jaws should be increasingly tight with the lower jaw increasingly advanced, and lip pressure should be increased.

とあるではないか!

多くのシロートが混乱する大きな問題だと思うのだが、音大のフルート科は、こんなこと当たり前のように、解決しているのだろうか?

しているんだろうな、、、きっと。。。

E.C.ムーアの原書を読んでみたい。

現実は、おそらく、どっちも在りなんだろうな。。。

2013年10月2日水曜日

傍鳴りと遠鳴り

宮前さんの古い掲示板を全て読んでみました。

そして「ソノリテの使い方」も再読。

遠鳴り、傍鳴りと音の成分について詳しく書かれています。

こうしたことは、これまで深く考えたことがありませんでした。

確かに、アマチュアの発表会などを聴きに行くと、演奏者のまわりだけで鳴っている人と、ホールの後方まで包むように響く人がいることは経験上よく知っています。

絶対にホールの隅まで響く音になりたい!

強くそう思います。(ホールで演奏することあんまりないけど、、、)

宮前さんの解説を読みながら、どういうことなのか只管想像力を働かせてみました。

なんとなく、こういうことなんじゃないかなという気はしますが、よくわかりません。

なので今日は、ただぼけっと吹くのではなくて、響きの成分や輝きの成分とは何なのか、そのことばかり考えて音色の同質性をじっくり丹念に練習してみました。

でも、なんだかよくわかりません。

えーーっと、
倍音を押さえたピュアな響き成分の音から、横隔膜(どこにあるのか意識できませんけど)のあたりをトランポリンのように感じ、強く(ここで強くという表現は誤解を招くと思うけど、他になんと言ったらいいのか、お腹と背中を意識して息のジェットを加速させたとでも言ったらいいのだろうか)吹くと低音域、中音域では倍音が載ってきます。
この時の輝き成分が、ピュアな響き成分に載るのが遠鳴りするのであって、輝き成分が響き成分の下にあるのは傍鳴りであり、ダークな音になるというわけです。
なのでこのピュアな響き成分の高さに耳がフォーカスできれば遠鳴りする音へのキップを手に入れたことになるのですね。

文脈はわかりました。
ですが、おそらくここで誤解してはならないのは、お腹を意識して息のスピードを上げて吹くことで得られる倍音=輝き成分ではないと思います。何故なら、わざわざ輝き成分という言葉を用いているからです。そうでなければ単に倍音と言えばいいわけで、、、。
完全にイコールでないにしても、概ね倍音が多く含まれる音だと思うのですが、それをピュアな響き成分に載せるとは、、、、。

ああ、それにしてもよくわかりません。

これがわかったら何か大きな飛躍をしそうですが、そんな日は来るだろうか。


一つ、低音GからCへ降りるに従って、あるべき下顎の動きの混乱はすっかり解決しました。

この混乱はE.C.ムーアの「フルートを吹く人のために」(佐々木真訳)という書物の脚注2 P.37の記述にあるのではないかと思います。(だって、モイーズの解説本と言いながら、モイーズと反対のことを言っているし、、、)



自分の吹く音や、人の演奏をよーく聴いて耳を鍛えることも必要ですね。

吉田雅夫さんはよく、自分の耳を先生にしなさい、そして耳をつんぼにしている学習者がとても多いと言っていました。

今ではYouTubeはもちろん、CDなどで簡単に有名プロのいい演奏を、ある程度いい音で手軽に聴く事ができますが、聴こえてくる音の中身と言うか情報量はかなり制限されているように思います。
生演奏から聴こえてくる音には、ある種の刳みと言いましょうか、雑音ともとれるような音が聴こえてきます。CDは奇麗に編集されていることと、16bit、44.1kHzのサンプリングの限界か、落ちてしまっている情報が多いとこのごろ思うようになりました。
テープやレコードからCDに移行した時は、ヒステリシスノイズもスクラッチノイズも無いCDの音はなんて素晴らしいんだと感激したものですが。

先月U.S.を旅してきましたが、食事中など隣から聴こえてくる英語の発音が妙に耳によく入って来るんです。
オーケー、アガラゴー、スィーヤッ!

日本で英語のCDやCNNを聴いているのとでは聴こえ方が(音質と言う点で)まるでちがうのです。

本来の音楽の属性である一回性を持った生演奏から聴こえてくる音の情報量の多さに改めて戦くばかりだ。