2014年4月29日火曜日

ココロのガス欠

いろんなことの意味ばかり考えてしまう。

つまり、あらゆることに意味を感じない。

すると、疲れてぼーーーっとしてしまう。


まあ、いっか。

お天気もいいし、庭にハンモックを吊るして揺れてみた。

日が陰ると肌寒くなり、強い日差しが照りつけると鼓動が早くなり肌が焦げる。

一年で最も紫外線が強い時期にハンモックで一時間ほど寝てしまった。

やば。


もうすぐ次回のレッスンだ。

スタッカートで上昇するエチュードの意味がわかり、面白く思ったものの、思うようにできないことが苦しい。

面白いことと困難なことが同居することはよくあることなのだが、ココロがガス欠していると、100%面白いことを渇望する。

困難を乗り越える元気が欲しい。



ご近所さんの庭で採取したセリ。
セリには胡麻油が合う。
セリの炊き込み御飯と、胡麻油炒めを作ってみた。

そのくらいの元気はあるのだが、つい飲み過ぎてしまう。

2014年4月25日金曜日

上手い下手以上の価値の所在

ネットで見つけた某フルート教師のエッセイですが、

某フルート教師が教える某マダムは、拍を数えるのが苦手で、伸ばす音の長さや休符の長さが違う事が日常お茶漬けご飯だそうです。

ですが、件のマダムの吹く音は幾重にも刻まれた年齢から深い響きがにじみ出るのだそうです。
少々楽譜と違っていても、人生の機微を説得力とする味のある演奏をするとのことです。

いい話しです。

もちろん音楽家が長年研究してきた演奏の原理に則り、正確に吹けるに越した事はありませんが、音楽を聴いて「いいなあ」と自分が感じることを、そのまま人にバトン渡しするつもりで吹けばいいんですね。

なんだ、案外簡単そうだな。(と、自分に言いきかせる)

物事はシンプルに考えた方がいい。

自分がいいと思わない曲を吹いて、人にいいと思わせることなどできようか。

「上手い下手以上の価値の所在を諸君の目にみせてやる。それは指回りでも激しい跳躍でもない、この美しい音だ。」

と、いつか心の中で叫んでから演奏してみよっと。

2014年4月23日水曜日

音楽はだいたいスケールとアルペジオ

古典的な音楽はだいたにおいてスケールとアルペジオでできている。

だから、基礎練習はスケールとアルペジオが大事なのだと言う。

スケールの練習はメトロノームにぴったりと正確無比に吹けばいいものだろうか。

もちろん、そういう風に吹ける能力も大事だけれど、音楽的に吹くことも大事ではなかろうか。
つまり、フレーズ感を出した吹き方もできないと音楽がつまらなくなりはしないだろうか。

そして某ハイアマチュアの方のご意見ですが、
音楽の中で音階が出て来たら、始めの三つの音を大事に吹くことで、音階が始まったことを知らしめるように吹くことがフレーズの構造をわからせるのだそうです。

全部、均一に吹いてしまうと、フレーズの構造がわかりにくい。特にアマチュアには。
音楽的な知識が豊富な人は聴き取ってしまうので、そういう人の演奏が却って面白くないのはシロートの耳を想定できていないことによる弊害だと。

この手のハイレベルな話は多分にコンセプチュアルでわかりにくいと相場は決まっていますが、このことについては最近のエチュードで常にセンプレフォルテに吹くクセを指摘されたばかりなこともあって、わかるような気がする。

このところ、いくらかマンネリで、成長も実感することが少なくなってつまらなくなりかけていたのだが、そんなことを考えだしたらまた面白くなってきたのだ。

流石に夜は吹けない。

早く吹いてみたいのだ。



朝掘りのタケノコ。

調理がめんどいので、近所の友人の奥さんのところに持って行ったら、面倒くさそうな顔をされた。
私「せっかく朝掘って来た新鮮なタケノコなのだから調理してよ。
奥様「ま、いいけど、、、タケノコの調理面倒なんだよね。
私「で、いつ食べる?」
奥様「えー、調理させておいて、更にウチで食べるの?」
私「そりゃそうだよ。でなきゃ持ってこないもの。」

タケノコってあまり喜ばれないものなのかなあ。。。

2014年4月22日火曜日

楽器を吹くことは楽しめないので音楽を表現することに喜びを

某ハイアマチュアの方から、掲題のコメントをいただきました。

名言だと思います。

耳が肥えるほどに、やりたいことが増えてくる。

でも、できない。

そりゃストレスってもんです。

でも、そんなことに囚われずに音楽を楽しむことが大事だよね。

ヘタウマってのもいい。

人は心意気に感ず。

人はどういう音楽に心を動かすのだろうか。

たぶん、誰も体系的に説明しきれないだろうが、「気持ち」が入っていないとダメだよね、きっと。

今日は基礎練習をパス。
Ashitaばかり吹いてみた。
近日中にAshitaを録音してみようと思う。

YouTubeで聴く、Sonoreさんの演奏を何度も聴いたので、自分で吹くと、Sonoreさんになった気分で吹くせいか、とてもいい音が出る(ような気がする)。

このところClaudio Barileさんになったつもりで吹いていました。

名人になったつもりで吹くっていいですね。

いくらか実力がアップした感じになりますもの。

Claudio BarileさんやGalwayになったつもりは吹き過ぎになってしまうことに注意だな。

これからはフレンチスクールの名手になったつもりでね。

誰のつもりになろうが、私の自由なのだ。


明日は歌のレッスンなのだが、元気が出なくて練習できていない。

体中に漲る元気が欲しい、、、。


田せりを胡麻油と砂糖と出汁醤油でサッと炒めてみました。
旨々です。

2014年4月21日月曜日

ピアノレッスン 三回目

もうここらへんで挫折かも。

と感じながら、今日が最後のレッスンになりそうな予感を抱えてレッスンに。

ベートーヴェン「歓喜の歌」(簡略版)はなんとかクリア。

ふぅ。

次のホルスト「木星」で必ず挫折の予感。

すると、木星は飛ばして、ドボルザーク(ドゥボッジャーク)の「新世界より」に行く事に。

シロートの綱渡り状態ですが、とりあえず挫折を先送り。

独学で陥りがちなポイントを指導してもらえるので、やはりレッスンは有意義。

レッスン後、オカリーナアンサンブルの練習を見学。
音色はフルートより癒されるかも。

でもオカリーナは買いませんよ。

フルートより難しいことは間違えありません。

音程が吹き方でかなりかわるのだそうです。(フルートもだけど)

ということは、歌心がまともに出るってことですね。

ああ、恐ろしい。

Ashitaの1stはなんとか吹く事ができそう。
2ndはちと難しいパッセージあり。

いずれにしても、デュエットで相方と合わせる難しさは譜読みだけでは読み切れない。

どうなることやら。

2014年4月20日日曜日

フルートは楽しい♪ 

昨日はご近所のフルート仲間と初見でデュエット三昧して遊んだ。

バッハ、ベートヴェン、Jean-Baptiste Loeillet de Gant など古典の曲は、和声やリズムの造りが体に馴染んでいるせいか、ゆっくりやればさほど難しくない。

prestoと書かれていても無視してandantinoくらいでね。

相方とは音程もすぐ合うし、何より初見でいきなり通せることに驚きと嬉しさでルンルン♪

今更、効果がそれほど期待できない基礎練習ばかりしているのではなくて、こうした遊びこそが楽しいよね。

これからはどんどん遊ぼうっと。

そして、YouTubeで見つけたとても癒されるハイアマチュアの演奏。
聴く限りでは指に悩まなくてよさそう。(簡単そうに吹いているから、そう思うのであって、実際のところはわかりませんけど)
そして、癒しの音で気持ちよく歌っている。

思い切ってご本人にコンタクトしてみたら、大変親切なコメントをいただけて今日は朝からとても嬉しい。

さて、理想の演奏を真似て早速Ashitaを吹いてみようっと。

2014年4月18日金曜日

音形に合わせた吹き方を

スタッカートがうまく響かない。

そもいきなりアタックして響かせることは難しい。
ですが、このパターンだと高いEもどうにか響く。
しかし、以下の第一小節のEはとたんに響かなくなる。
原因1】私はBを吹く時、Aisレバーを多用するのですが、この場合は右手2番の人差し指でFキーを使うことが最も指にストレスがない。Aisレバーがクセになっているので、急にFキーに運指を変更するとしばらく混乱して前後の音を間違えるが、なるほど慣れるとFキーの方が出し易い。

【原因2】音形に合った「気持ち」で吹く事。冒頭のCisからセンプレフォルテで吹く傾向があるので、E、Gへ上昇する時に「気持ち」が入らない。Cisで始まりBは次のEに向かって、EはGに向かって駆け上がる「気持ち」が大事。

音形に合わせた吹き方をするように」とは、以前から何度も言われてきたのですが、単に上昇はクレッシェンドすること、くらいに考えていました。(モチロン、あえて逆にする指示がある場合は例外ですが)

それも間違えではないようですが、高いところに駆け上がる「気持ち」が必要なのだということがよくわかりました。

何度練習してもうまくいかないエチュードに、少々嫌気がさしたままレッスンに臨んだのですが、こんな短い分散和音にも大きな意味があることがわかったので早く帰宅して、その「気持ち」を大事にして吹いてみたい。

これだけのことにレッスンの大半の時間を費やしてしまったが、とても充実していた。

次に人生の意味についてわかりたいのですが、これは簡単にはいかないだろうな、、、。


久しぶりのラーメンは「なんでんかんでん」

2014年4月14日月曜日

自分の気持ちに素直になろう

昨日はフルートクライスのイベントに行って来た。

一昨年、昨年に続き3年連続で出席。

同じ事を何度も聴くのもどうだろうか、今年はもういいかなあ、と思っておりましたが、ご近所のフルート仲間に参加を促した手前もあるし、楽しい雰囲気の中で盛りだくさんのプログラムがてんこ盛りなイベントだし、迷ったらGoという人生の理念に従い直前の申し込みで参加してきた。

同じ様な内容を今年も聴いたわけですが、同じことでも、以前の私と今の私ではフルートに対する理解が変化しているわけで、改めて今回理解を深めたことも多く、参加してよかったと思います。

ピュアトーンとダークトーンについての違いは以前から耳で聴く限りでは理解していたつもりでしたが、今回ダークトーンを基本にすると音色の変化がつけにくくなることを上坂先生のデモンストレーションではっきり理解することができた。

会場に全く初めてフルートを触った大人の人がいました。
もちろん、音は出ません。
ですが、少し指導を受ける事で、すぐにいい音が出たんです。

キーの運指も構え方もわからない様子からすると「ヤラセ」ではありません(笑)。

とかく日本人は、うまく吹けないと格好悪い。失敗したら恥ずかしい。という気持ちが働きがちですが、吹けない人が懸命に練習して、少しでもいい音がでたら素直に喜べばいいではないか。

そうだよね。

そういうささやかなことが嬉しいのだから、その嬉しい気持ちを素直に出せばいいんです。



映画「眺めのいい部屋」観る。
ご近所のフルート仲間から聞いた名画。
フィレンツェ、ロンドンの景色が美しい。
恋も笛も自分の気持ちにすなおになることが大事なのだな。

2014年4月12日土曜日

ものは考えよう

生命感躍動する春なのだが、花粉症の身には春の暖かさに潜む、体が芯から冷えるようなヒンヤリした陽気が辛くもある。

昼間はポカポカと気持ちいいのだが、朝晩の空気の冷たさには単純な温度と湿度以外の何か特別な要素が潜んでいる。それは一体何なのだろうか。

しかしそれも、前向きに考えればどうだろうか。

本来の今はきっと蒸し暑くてたまらない夏なのだ。(と無理に考える)

蒸し暑くてぐっすり寝られないあの辛い夏を想像してみよう。(あー、いやだなあ)

春は大自然の巨大なエアコンが効いていて、世界全体をヒンヤリと冷やしてくれているのだと考えれば、エネルギー代0ですばらしく快適な空調のスイッチを入れていることになるわけです。

問題は本当の猛暑にそのスイッチを入れる事ができないことであることは言うまでもありませんが。



久しぶりのオイスターバーでフードポルノしながら牡蠣三昧。
シャンパンとジン・ファンデルで旨々。







2014年4月10日木曜日

Time to say good bye

昨日は歌のレッスン。

サラ・ブライトマンやIl Divoが歌うTime to say good bye(Con Te Partirò)を私からリクエストして初めて浚ってみた。

自宅練習でも高いAがまともに出ない。

もちろん、レッスンでも出ない。

音大生でもAが出せるようになるのに2-3年かかる人がいるとのこと。

こりゃ、無理か。。。

練習方法とし、裏声で響かせるように発声を続ければやがて裏と表の堺がなくなるそうなのだが、シロートがそこまでたどり着けるのだろうか。

で、子音を封印して母音だけで歌ってみた。

高いAが出てくるフレーズは歌詞を歌わず自由な発音で思い切り歌ってみたらなんと自分でも驚くほど響く声が部屋中に広がったではないか。

こんなにすぐに効果が出るなんて、なんて嬉しいことでしょう。

録音を聴くと、音楽としてかなり問題ありなのだが、とにかくたっぷりの声量でAが出たことでルンルン気分♪。

気を良くしてレッスンオフィスの階下のイタリアンでビールしながらフードポルノ三昧。

フルートも吹き過ぎはいけない。
裏声でため息をつくように優しく吹いて部屋の空気を響かせるように心がけよう。
歌は当面の間、背中を入れることに集中するのでセンプレフォルテ気味かもしれない。

2014年4月8日火曜日

アルペジオをぼつぼつと

タファネル・ゴーベールのアルペジオをものすごくゆっくり取り入れて数日経過。

パターンによっては躓くものの、ゆっくりやればできてくる。

ピアノもそうだが、できなかったことができるようになるささやかな喜びがいい。

3オクターブにわたり、アタックから音を切るまでミスブローしないで吹けるようになりたい。

そしたらものすごく見栄えがいい演奏になるよね。

たっぷり練習したので近所のカフェでベルギー(風)ビール。(実はオランダのホワイトビール)



映画「ボーイズ’ン・ザ・フッド」観る。
Hip-Hopをガンガン鳴らしたインパラにウージー。
近所も殺し合えば、世界も殺し合う。
縄張りのために殺し合う習性を持っている人類は永遠に懲りないわけで。

2014年4月7日月曜日

音大出身ですか?はまずかったかも。

昨日の発表会でトリを努めたブルーのドレスの方が、あまりに音楽的な演奏をしたことに驚いて、思わず終演後に音大出身ですか?と本人に質問してしまったのですが、その後聴くところによれば彼女は現在一般大学の一回生だそうです。

出身ですか?という聴き方は既に卒業している、すなわち22歳以上になるわけですね。

私の質問に内心むっとしていたかもしれません。

ブルーのドレスの方に年齢を聞いたわけではありませんが、遠回しにそれなりの年齢を示唆したことになっていたかも。

私自身も年齢相応に観られないことが多く、むっとすることが多いにもかかわらず他人に対しての配慮が足りなかったかもしれません。

他人の行為、態度に腹立たしく思うことがある一方で、自らの姿勢が他人を不愉快にしていることだってあるかも。

それにしても多くの日本人は、初対面の人にすぐに年齢や血液型を聞く傾向があることに違和感を覚えます。
欧米のダイバーシティを尊重する考え方の方が性に合っています。

「ああ、酉年のA型なのね。やっぱりね。だから彼とは合わないけど、彼女とは合うんだよ。」

とか、

「典型的な一人っ子タイプだね。」

そんなステレオタイプに人を嵌め込みたいセリフを聞いた途端、もう話すことも嫌になってしまいます。

こんなに上手いんだから、きっと音大出身者に違いないというステレオタイプもどこかにありそうだけど。


2014年4月6日日曜日

いい演奏って何が違うんだろう。。。

さくっとソノリテ、スケールとアルペジオだけ練習して某フルート教室の発表会に出かけた。

エチュードと新曲を二日間練習していないことが気がかりだけど、まあいいよね。

午後1時から7時過ぎまで30名が、短い人で数分、長い人はコンチェルトをまるごとやるので20分くらい吹いている。

音色、響き、アタックがひとそれぞれ違う。

前半響かない演奏が、中盤から調子が出て来て、響きだす人がいた。

練習していてもそうなのだが、始めは鳴らなくても、スケールを練習していると次第に鳴るようになってくることがよくある。

そして上級者になると、超絶技巧な曲にいどむ人が多い。

作曲家の演奏者への嫌がらせかと思えるような、激しく難しいパッセージのオンパレード。

見事なパフォーマンスを披露する音大出身の人も何名かいたが、趣味で吹いているハイアマチュアが吹きこなす様子もまた見事なものです。

それにしても約6時間、いくら好きなフルートの音だと言っても、ずーーーっと聴き続けると疲れる。

途中退出が何度も頭を過ったが、最後に講師演奏があるし、すぐ後ろに講師の先生が着席しているのに、途中で帰るのも気が引けてしまいとうとう最後までおりました。

最後までいてよかったです。

トリの演奏が素晴らしかった。

トリを演奏したスカイブルーのドレスを着た若い女性の堂々とした演奏は、長時間フルートばかり聴いたことで、やや疲れてしまった頭脳を覚醒させるほど素晴らしい演奏でした。

二日酔いに向かい酒ってことでしょうか。(ちがうか、、、)

シュターミッツ G dur Concert 。

難易度はそこそこだと思いますが、プロコフィエフやドップラーやタファネルのミニヨン幻想曲ほどではない。
おそらくモーツァルトのコンチェルトが吹ければシュターミッツも吹けるのではないだろうか。

明るく明快な音色には芯があり、ダイナミックに吹きながらも、ピッチ、音色が安定していて、聴いていても初心者にありがちな、音がひっくりかえりそうな不安は微塵もない。

そういう安定した吹き方の人は他にもたくさん登場していたのですが、スカイブルーのドレスの彼女だけは、それだけではない何かがあった。

音価の微妙なセンスだとか、リズム感だとか、アーティキュレーションだとか、音楽を表現する様々な要素の全てがおそらく一般人とかけ離れているのではないだろうか。

明示的に、彼女のここがこれだけ優れていると言う事ができないのだが、結果として、実に癒す音楽を、長時間フルート漬けになったシロートの頭脳に染み込ませていた。

彼女の演奏は他の人達の演奏とどこがどう違うんだろうか。

そしてあんな演奏を真似してみたい。少しでいいから。


終演後、そのスカイブルーの彼女に聴いてみた。
「音大出身ですか?」
「いいえ、違いますよ。」
「・・・貴女の演奏が一番よかったですよ。また聴きたいと思いました。」
「え?あ、ありがとうございます。」

たまげちゃったなあ、おじちゃんは。

2014年4月5日土曜日

お休み

2011年にフルートを再会して以来、旅行以外はほぼ毎日のように練習していましたが、今日は少し二日酔いもあってか元気が出なくて全く吹かなかった。

明日はフルート仲間の発表会。

さくっと練習したら出かけるのだ。


二日酔いの原因は久しぶりのピッツァ。
ロゼのブリュットとベルギービール、その後赤ワイン
ハム、野菜、魚介の薫製
のれそれ(あなごの稚魚)
旬野菜の釜焼き
スウェーデンカブ
イイダコの釜焼き
田せりとタケノコのピッツァ
イチゴとキーウィのピッツァ

2014年4月3日木曜日

和音の進行を身につけないと 

満身創痍で臨んだ初見のテストは、譜読みに集中した成果が出てか、二カ所ほど音を間違えたが、クリアすることができた。


Andersen: Eighteen Studies for the Flute, Op. 41#2は×でした。

次回、もっと速いテンポでやることに。

非日常的な臨時記号を速く吹くには、単音のメロディーではあるが、和音が分解されていることを体で感じないとダメだそうです。

タファネル・ゴーベールはEJ4しか日課練習に取り入れていませんが、明日からはアルペジオも取り入れることになりました。

難しそうですが、あせることなく、できるスピードでやってみよう。

そしてOp. 41#3について相談してみた。
Andersen: Eighteen Studies for the Flute, Op. 41#3
この曲のどこがいいんだか、わからないので吹いていてつまらない。
リズムを変えて練習するとできるのに、楽譜どおりに吹こうとすると指を間違える。

すると以下のアドバイスをいただきました。

■リズムを変えて練習することは指を覚える練習にはなるが、つまらないと感じる曲をおもしろくすることには貢献しない。

■メロディーラインを意識して和音構成に載せるようなつもりで演奏すること。

先生がピアノでメロディーラインを際立たせて演奏したのですが、それはもう美しいではないか。

こんなに奇麗な曲だったんだね。
自分の音楽的美意識の貧困を棚に上げて、つまらない曲だなどと思っていたことを改めなければならない。

この美しいメロディーラインをしっかりと体に叩き込んでから、メロディーに付随する和音を挟むってことだね。

つまらないなあ、と思っていた曲が大変に光ってきた。

大きな収穫だ。

そして、何かレパートリーを増やしましょうと言う事で、次回からドビュッシーの「夢」をやることに。
指に悩むことなく、美しい旋律で癒しの表現を目指したいのだ。

2014年4月2日水曜日

少し辛い時もある、それが人生さ。

明日はレッスン。

アンデルセンのエチュードOp.41の#2。
臨時記号が多くなると音を間違えるのだよ。
たいていのアダルトビギナーはみんなそうだよね。


Andersen: Eighteen Studies for the Flute, Op. 41#2

そしてもしかすると#3。
どちらもちと辛い。

メロディーラインを引き出しながら分散和音を奏でるスタイルは好きなのだが、やや非日常的なインターバルの分散和音はものすごく苦手。

フュルステナウ「音の花束」の練習方法を取り入れて二週間ほど練習してきた。

何故かリズムを変えた時の方がうまくいく。

仕上げに楽譜どおりに吹くとうまくいかない。

新しい悩みをかかえたままレッスンに臨むことに。。。
Andersen: Eighteen Studies for the Flute, Op. 41#3


映画「日本の夜と霧」観る。
フランクルの夜と霧とは無関係。
何故、タイトルに夜と霧を使ったんだろうか?
アンデルセンのエチュードではないが、非日常的なセリフが多い。
「君は学生運動をコミンテルンからの指示に従うだけの日和見主義的、、、、社会主義リアリズムの成果としてのショスタコーヴィッチはもはや前衛とは言えない、、、、前衛との関係性における時間的絶対的損失、、、、」、、、みたいな。
そして多くの役者は、そんな非日常的な長いセリフを噛んでばかりいる。
似非インテリ学生の非日常的な言説を揶揄してのことなのか、それとも等閑に撮ったのだろうか。
大島渚ともあろうものが、等閑に撮ったとも考えにくい。

非日常的な分散和音を等閑に吹いていいわけはない。
ああ、明日が心配。