午前中はご近所のフルート仲間とのアンサンブル。
ランチは駅中で買ったパンをかじって、施設への訪問演奏に。
ああ、忙しい。まるでプロみたい(笑)。
先週に引き続いての本番なのと、観客の顔を観て演奏することでいくらか緊張はマネッジできたような。
ですが、私が1stのロンドとサルタレロでは、先生も合奏に加わることをすっかり失念し、先生がスタンバイしていないのに、周囲を見渡してよしとばかりに演奏を始めてしまうという大失態を演じてしまった。
あーあ、またやっちまっただよ。
同世代の方がソロで「宵待草」を演奏したのですが、その方も回を重ねる毎に緊張が増してくるとのこと。
で、出だしで音が転んでしまって、演奏が終わってもそのことが悔やまれている様子が辛そうでした。
先生曰く、本番でのミスは一瞬のこと、そのことに囚われてミスを繰り返さないように、その分を後の方で取り返すくらいの気概で吹くべし。
終わりよければ全て良し。
確かに、彼女の音のミスは曲を知っている者からすれば、あ、やったなとわかりますが、普通の人は気がついていない可能性もあります。
絵や彫刻や建築はやり直しがきくが、音楽は時間軸で勝負しているので、やり直しがきかない。
あまり、細かいことに囚われることなく、全体の演奏をうまく仕上げるようにすることが肝心なのだ。
出だしでトチッタ彼女の演奏も全体を通したら、豊かな音で心に響いています。
そういえば、かなり有名なプロの演奏でも時々音を間違えたり指が転ぶことがあります。
ましてアマチュアなのだし、勘弁してもらおう。
ああ、立て続けの本番も終わってこれで一段落。
おお! お疲れ様でした
返信削除いいですね 羨ましいですね
やっぱり 人前で吹いてこその笛吹ですよ
”やり直しがきかない” まさにそうですね
上手くいっても 失敗しても
その一回性こそが 音楽であり 人生のひとコマのようにも思えます
還暦の笛吹きさん、
返信削除コメントありがとうございます。
そうですね。まさに音楽の一回性ってやつです。
このごろは、録音して何度でも再生できるので、つい音楽の一回性を忘れがちですが、そも音楽の属性のひとつとして一回性があったわけです。
それ故に、美しくもあり、儚くもあるわけですね。
楽しみのはずが、どうして、こんなに苦しいのかと思いますが、このはかなさを楽しめる最高の美の追求なのかもしれません。
還暦の笛吹きさんのコメントで改めて音楽の一回性を思い起こすことができました。
感謝です。