2015年5月22日金曜日

オペラ杉原千畝物語・人道の桜 世界初演の旅 -3-

2015年5月12日 本番当日

旅の疲れがあるにもかかわらず、緊張のため眠りは浅く、自分の出番の歌が何度も聴こえてきてぐっすり眠れなかった。

朝から自分の役柄になりきったつもりでいよう。
つまり東京帝国大学を卒業し、当時最年少で外務次官に上り詰める超エリートな自分を想像してその役柄になりきる。

これが厳しいんだよね。

全く自分にないキャラだからね。

主役と作曲家は朝からリトアニア国営放送の生取材のため5時に起床して出かけた。
その模様をiPhoneでビデオ撮影していると、突然部屋の電話が鳴った。

「起きたー?朝飯行こうよ!」

共演者のAさんではないか。
せっかく録画しているのにぃ。
それに普通テレビ見るだろ!大事な放送なんだから!!
リトアニア国営放送
防衛庁隣のホテルから劇場まで徒歩5分。

ドキドキワクワクドキドキしながら楽屋に入り、フェースケーキと眉墨で化粧。
フェースケーキを塗ると照明に映えるんだそうです。
ふだんすることのない化粧をすると女性の気持ちがわかる気がする。
そも社会で生きるとはペルソナを演じるわけで、女性は常に自分のペルソナを意識することが化粧によって深まるのではないだろうか。

だが、新しい自分を発見することはなかった。

ゲネプロを終えて本番へ。
もう無我夢中。

演ずることを考えている時間はない。
ありったけの自分を演ずるしかないのだ。
ドキドキしている時ではない。

自分は完璧なんだ。超エリートの上司として部下の千畝と絡むのだ。
見ているがいい、舞台は俺のものなのだ。
そしてリトアニアの聴衆の心を鷲掴みにするのだ。

と、無理に自分に言い聞かせる。

幕が開き、幸子夫人が千畝を紹介し、学生の頃の千畝と下宿のおばさんのやりとりが終わると一旦照明が落ちる(これを暗転と言うそうです)。
暗い舞台を下手からサスの1m先のポジションへ歩く。
舞台に貼ってある蓄光のバミリステッカーが目印。

暗くてほとんど観客の顔が見えない。
これはいい。
なんだこのヘッポコはとこちらを凝視する人がいたとしても見えないんだからね。
でも、見えないだけでそこには確かに1,000人の生きた観客がいるのだ。

そこへ照明が当たると同時に私のセリフで始まる。
始まったら止まるわけにはいかない。
照明が強くてこれまた観客の顔がよく見えない。
もう自分が自分じゃないみたい。
何かが私に乗り移って勝手に動いてくれ!

観客の顔が見えないのは、観客に飲まれないので初の舞台には好都合だが、観客を飲み込もうとする意欲があった場合にはよくないかもしれない。
なんてことを考える余裕は後から生じるのですが。

稽古でも常にテンションを高くすることを心がけていて、決してさぼってはいなかった。
けれども、本番の舞台ではさらに高いテンションとエネルギーが生じるものなのだ。

人生初の舞台はいきなり主役とのデュオという大変に重い役割だった。

まずは夢中でやり通した。

うまくいったかどうかは自分ではわからない。

評価は後世の歴史家にまかせよう(?)。

上手ソデにハケると多くの共演者が笑顔のハイタッチで迎えてくれた。

うまくいったのかな?

「よくやった!」とみんなの笑顔が言っている。

うまくいったんだよね、きっと。

思わず演出助手とハグハグ。

大事なシーンをやり遂げた達成感に浸る暇もあまりなく、次はユダヤ人医学生として群衆に混ざって合唱するために着替えて下手へ。

ハイテンションをキープしたまま、2時間が過ぎ、

そしてついにフィナーレの人道の桜。
桜の花びらがいい感じで舞う中をみんなの心をひとつにして熱唱。
スタンディングオーベーションで拍手が鳴りやまない。
多くのリトアニアの観客が泣いていたそうです。
やったね。
国が違っても人はみな同じだよね。
出し切りました。
何か身体中のエネルギーを不純物と一緒にデトックスしたような開放感です。
疲れましたがいやな疲れではありません。
達成感と錯覚かもしれませんが、自信に満ち溢れシャワーを浴びて、着替えて打ち上げに行きましたら、なんと主役の面々は着替えもせずに、打ち上げ会場でまた歌を披露するではないですか。
いやー、プロは大変と言いますか、パワーあるなあ。
それでもって、帰りの飛行機では次の舞台の譜読みしてるんですよ。

あー、つくづくシロートでよかったと思うひととき。

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